あなたを失う  story of G-1

 一面に白い花が咲き乱れていた。
 重々しい装備をはずした小柄な女性が佇んでいる。
 優しい風に栗色の髪がふんわりと靡く。
『リナ。』
 呼びかけると、彼女は振り向いた。
 愛らしく整った顔に満面の笑みが浮かぶ。
『ガウリイ。』
 少し高めの可愛い声が彼の名を呼んだ。
 ああ、よかった。
 彼女はここにいたんだ。
 安堵し、彼女に駆け寄って、その華奢な身体をそっと抱きしめた。
 彼女は抗わず、ふわりと彼に寄りかかってくる。
 甘やかな香りのする髪に顔を埋めて囁いた。
『どこにも行かないでくれ。』
 こくり、と頷く気配がして、彼は彼女の顔を覗き込んだ。
 彼女は白い頬を赤く染めて、微笑んだ。
『馬鹿ね。あたしはここにいるじゃない。』
『ああ。傍にいてくれ、リナ。』
 紅い瞳を覗き込んで言うと、彼女はますます頬を染めた。
『うん・・・。』
 愛しさが込み上げてくる。
 細い肩を抱き寄せ、柔らかな髪に顔を埋める。
『愛してる・・・。』



 ガウリイは目を開いた。
 宿のカーテンから、朝の光が差し込んできている。
 無意識に、リナの気配を探そうとして―――。
「は・・・っ。」
 乾いた笑いを上げ、両手で顔を覆った。
 何度も何度もリナの夢を見る。
 夢の中で、彼女は自分の腕の中にいる。
 秘めてきた想いを告げると、嬉しそうに微笑んでくれる。
 何度も夢想した光景だ。
 それを、夢に見る。
 そうして目が覚めて、彼女がいないことに気づくのだ。
 すでに彼女と別れて3ヶ月が経っていた。
 夜毎、彼女の夢を見て、目覚めて絶望に陥る。
 ここに、リナはいない。
 顔を覆っていた手を下ろし、その掌をじっと見詰めた。
 血塗られた自分の手。
 彼女に出逢うまでの傭兵生活で、数え切れないほどの命を屠ってきた。
 一時期は自分が生きていると実感するためだけに、戦地に赴いて命を奪っていたことすらある。
 こんな自分がリナに触れていいのだろうか。
 ふと、あるときそんなことを思った。
 リナが汚れない存在だなどとは思っていない。
 彼女も不名誉な二つ名の数々をもっているくらいだ。それなりのものを背負っている。
 けれど、彼女と自分は違いすぎる。
 生きるために、前に進むために、自分を曲げないために、戦うリナ。
 『光の剣』の重みに縛られ、自分の存在意義が分からずに、生きていることだけを確かめるために、いっそ誰かに殺してもらおうと戦っていた自分。
 彼女の前を向き続ける生き様に目を奪われ、彼女のお陰で生きることを楽しめるようになった。その強さに惹かれ、惚れるまでそう時間は掛からなかった。
 リナも自分に惹かれていたとは思う。淡い好意を寄せてくれていたのではないかと思う。
 おそらく、保護者をやっている穏やかな男に対する淡い恋心だろう。
 リナは、砂漠の旅人が水を渇望するような熱情を抱くガウリイを知らない。嫌われるのも怯えられるのも嫌だったから、激情の全てを押さえ込んででもガウリイは彼女の傍にいようとした。ゆっくりと時間をかけて彼女が自分だけを見詰めてくれるのを、自分だけを欲してくれるのを待ちたかった。
 でも、そうしてリナが自分の傍にいることは、はたして彼女の幸福といえるだろうか?
 ガウリイはそこに気づいたとき、愕然とした。
 想い想われる夢を見ていたけれど、こんな男の傍にいることがリナの幸福といえるのか?
 答えは、否。
 こんな傭兵崩れなんかではなく、もっと彼女に相応しい男がいるはずだ。
 剣しか能のない自分よりも、もっといい相手がどこかにいるはずだ。
 何より大事なのは、リナの幸福。
 こんな汚れきった手で、激しい熱情で、醜い独占欲で、彼女を幸せにできるわけがない。
ふぅ・・・
 ガウリイは息を吐き出すと、ベッドから降りた。
 身支度を整えて、宿の一階の食堂へ赴き、朝食をとる。
 リナといた頃とは違い、一人前だけ食べる。
 彼女と別れた途端、食欲はなくなった。
 けれど、身体を維持するためには食べることは必要だから、流し込む。
 リナと別れて初めの一月はもっと酷かった。
 身体が食べ物を受け付けようとはせず、それでも流し込んでは吐き出していた。
 一月経った頃、街道で盗賊に襲われた。
 リナもいないので駆け引きすることもなく倒してしまった。何を見てもリナを思い出すのだが、盗賊となると彼女の趣味を思い出し、そして、彼女との出会いを思い出した。
 いつか、また、彼女が盗賊いぢめをしている場面に遭遇するかもしれない。
 そう考えた瞬間、馬鹿馬鹿しいことに気力が少しだけ戻ってきたのだ。
 いつか、リナに会えるかもしれない。
 その一筋の希望だけで、食事ができるようになった。
 会えたからといって、どうしようもないのだが。
 自分以外の男が彼女の横にいるかもしれないのだが。
 それでも、いつか再会する日を思えば、剣士として何の役にも立たない存在になりさがるわけにはいかないと思えた。
 未練がましく矛盾だらけだが、どうしようもない。
 今でも、リナがガウリイの全てなのだ。
 


 晴れ渡った空も目に入らないまま、ガウリイは街道を歩く。
 リナと別れてから、世界は色を失っている。
 リナはどこかで幸せに生きているだろうか。
 すでに三ヶ月経っている。いつまでも自称保護者がいない寂しさを抱え込んでいるような女ではない。きっと、元気よく盗賊いぢめでもしているだろう。
『さようなら、ガウリイ。』
 ふと蘇るリナの別れの言葉が身体に響き、息ができなくなる。
 耳に木霊する声。
 斬妖剣の柄を握り締めて耐える。
 閉じた目蓋の裏に浮かぶのは、最後に笑顔を見せてくれたリナ。
「リナ・・・。」
 囁いて、剣から手を放す。
 リナが見つけてくれた剣だけが、ガウリイが縋れるものだった。
 これは、リナがガウリイのためにだけ見つけてくれたものだから。
 目を開いて、世界を見る。
 相変わらず、何の興味も抱けない。
 ガウリイは止まっていた足を動かし始めた。
 きっと、いつまでも自分はリナを想い続けるのだろう。
 
「こんにちは、ガウリイさん。」

 ガウリイは足を止めた。
 眉を顰めて、街道の脇に生えている木に凝った闇を見た。
 桁外れの瘴気を笑顔でくるんだ魔族がそこに腰掛けていた。
「何の用だ、ゼロス?」
 獣神官ゼロスは楽しそうに笑って、地面にふわりと舞い降りた。
「ガウリイさん、素敵な負の感情ですね。」
 いい天気ですね、というようににこやかに言ってくれる。
 ガウリイは眉を顰めたまま、ゼロスを見た。
 ゼロスは今までリナにだけ会いにきていた。
 リナにしか用がなかったからだ。
 ゼロス自身が彼女に危害を加えようとはしていなかったため、放っておいたのだが。
 今、リナは傍にいないのに、何故、この魔族がここに現れるのだろうか。
「ふ〜ん、リナさんいないんですね。」
「ああ。」
「別れちゃったんですか?」
「ああ。」
「無愛想ですね〜。」
 にこりともしないガウリイに、ゼロスが困ったように笑った。
「何の用なんだ?オレに・・・、オレなんかに魔族のお前さんが用があるとは思えないんだが。」
「ああ、用というか・・・、ガウリイさんを偶然見かけたので、噂は本当なのかなーっと。」
「噂?」
 訝しそうなガウリイに、ゼロスはにっこりと頷いた。

「ええ、リナさんが亡くなったと聞いたんです。」

 目の前が真っ暗になった。
 何を言われたのか分からない。
「何・・・、何を言って・・・・?」

「え、聞こえませんでした?」
 ゼロスの声に明らかに混じる愉悦の色。
「リナさんが亡くなったと。」

 ガウリイは呆然とゼロスの顔を見た。
 ニコ目の魔族もガウリイの顔を見ていた。
「嘘・・・だ・・・。」
 掠れた声に、ゼロスは心外だというように片眉を上げた。
「信じてくれないんですか〜?僕たち魔族は、隠し事はしても、嘘はつかないんですよ。」
 にこにことゼロスは口を動かし続ける。
「いえね、ほら、リナさんって殺しても死にそうに無いイメージがあったんですよね。だいたい、ガウリイさんが傍にいれば身を挺して守るでしょうし・・・。でも、別れたんなら、リナさんが亡くなったという話にも納得できますね。あれ、この話ご存知ありませんでした?」
 楽しそうにゼロスは続ける。
「僕も小耳に挟んだだけですから、あなたが知らなくても不思議はないですね。」
「・・・・・いつ、だ?」
 ガウリイは声を絞り出した。
 ゼロスは腕を組んで思い出すそぶりを見せた。
「えーっと、3日前くらいですかねぇ。」
「3日も前・・・。」
 ガウリイは呻いた。
 リナのことなら、離れていても分かるような気がしていた。
 何かあったのなら、自分にだけは分かるような気がしていた。
 一緒に旅しているときは、勘は冴え渡っていた。
 だが、彼女は3日も前に喪われていたという。
 どこかで、笑っていると思っていたのに。
 ガウリイは首を振った。
 ゼロスの話を受け入れたくない。
 彼女がどこにも存在しないなんて信じられない。
「・・・どこ、だ?」
「え、リナさんが亡くなったという場所ですか?」
 『リナが亡くなった』というその言葉が、ガウリイの胸を絶望で染め上げる。連呼しないで欲しいと思っても、ゼロスはガウリイの負の感情を楽しんでいるのだから言っても無駄だろう。
「トスローという村です。ここから北西に徒歩5日というとこですかね〜。」
「そうか。」
 ガウリイはゼロスに背を向けて、来た道を走り出した。
「え、ガウリイさん。行かないんですか?この先の街道の分かれ道を右に進んでいけばいいんですよ?」
 ゼロスはぷかぷかと宙に浮いてガウリイを追い、わざわざ親切に道を教える。
 ガウリイは止まらなかった。
「分かってる。馬を買うだけだ。」
 徒歩で5日もかけていられない。
「なるほど・・・。」
 ゼロスは微笑んだ。
「ふふ、頑張ってください。」
 楽しそうに言ってゼロスの気配は唐突に消えた。
 ガウリイはそれには何の関心も抱かず、一心に走った。
 


(2005 6/27)