あなたを失う  story of L-1

 柔らかな木漏れ日が踊る森の中。
 装備をはずした長身の青年が佇んでいる。
 爽やかな風に金色の髪がさらさらと靡く。
『ガウリイ。』
 呼びかけると、彼は振り向いた。
 整った綺麗な顔に陽だまりのような笑みが浮かぶ。
『リナ。』
 低い耳に心地よい声が彼女の名を呼んだ。
 ああ、よかった。
 彼はここにいたんだ。
 安堵し、彼に駆け寄って、その無駄な筋肉のない身体に腕を回した。
 彼は包み込むように彼女を抱きしめてくれる。
 厚い胸板に寄りかかり、囁いた。
『どこにもいかないで。』
『ああ。』
 金色の髪が彼の動きに合わせて揺れた。
 彼女は彼の顔を見上げた。
 蒼い瞳が優しい色を浮かべ、彼女を映していた。
『馬鹿だなぁ。オレはここにいるだろう?』
『うん。傍にいてね、ガウリイ。』
 頬を真っ赤に染めながら、珍しく素直に言ってみる。
 彼は満面の笑みを浮かべて彼女を抱きしめてくれた。
『当たり前だ。ずっと傍にいるよ・・・。』
 嬉しくて彼の首に腕を絡め、囁いた。
『好きよ、ガウリイ・・・。』



リナは目を開いた。
 宿のカーテンから、朝の光が差し込んできている。
 一人きりの部屋。
「う〜、なんて夢を・・・。」
 真っ赤に染まった頬を手で覆い、俯く。
「馬鹿みたい・・・。」
 唇を噛み締めた。
 何度も何度もガウリイの夢を見る。
 夢の中で、リナは彼の腕に包まれる。
 彼は優しく抱きしめてくれる。
 何度か思い描いたことのある光景だ。
 それを夢に見る。
 そうして目が覚めて、彼がいないことに気づくのだ。
 すでに彼と別れて3ヶ月が経っていた。
 夜毎、彼の夢を見て、目覚めて自嘲する。
 ここに、ガウリイはいない。
 別れた方がいいことは分かっていても、別れたいと思ったことはなかった。
 魔王を二度も倒し、魔族にまで知名度の上がってしまった自分は、平穏とは程遠い人生を歩む。
 そんな人生にあんなに穏やかに笑う人を巻き込んでいいわけがないことなど分かっていた。
 でも、彼が傍にいてくれる限りは、別れたくなかった。
 フィブリゾの一件で、彼が世界よりも大切だと痛感し、ごく最近、自分の想いが何という名を持つのか知った。
 想いを告げれば、優しい彼は応えてくれたかもしれない。けれど、すでに保護者などという名目で縛っている彼に、それ以上を求めることはできなかった。
 もし、彼が望んでくれたら―――。
 リナは苦く笑う。
 ずっと傍にいてくれる理由が自分と同じなら、と思うことはあったが、現実はそうではなかった。
 彼に別れを告げられてしまった。
 3年以上旅を続けてくれた彼に感謝こそすれ、引き止めることなどできるわけがなかった。
 傍にいてくれたのは彼の意思だと思っているから、巻き込んでごめんというのは失礼だろう。そう思って、感謝の言葉だけ伝えた。
 秘めてきた想いは飲み込んだ。
 理由を問いただすこともできなかった。
 ガウリイが決めたことだ。彼なりの理由はあるのだろう。それを聞き出したところで、彼の決意を変えられるとは思えなかった。だから、聞かなかった。彼の意思を尊重したかった。
 リナは起き上がり、洗面器で顔を洗った。
 髪を梳きながら、口元を歪ませる。
 奇麗事を言っていたのだ。本当は、理由を聞くのが怖かっただけだ。理由を聞いて、その理論の穴を見つけ出し、傍にいてもらおうとしかねない自分が怖かった。
 こんなに一人の人間に執着するなんて。
 3ヶ月経っても、想いは色褪せることなく、夢を見ない日もない。
「感情くらい切り替えられると思ってたんだけどね・・・。」
 リナは身支度を整え終わると、宿の一階にある食堂へ向かった。
 朝食を3人前頼んで平らげる。
 食事そのものは今だって好きである。ただ、自分の皿に伸びてくるフォークがないことや、ふと顔をあげたときに微笑んでいる蒼い瞳を見ることが無いだけで。それが物凄く寂しかったりするだけで。
 料理は美味しかったが、追加注文する気にはなれなかった。
 朝、昼、晩の三食ともに、3人前を超す量を食べることができない。3人前を超える量を食す時間に耐えられなくなるからだ。
 寂しいのだ。
 けれど、ガウリイ以外を自分が望んでいないことも分かりきっているから、誰かを誘う気にはならない。
 いつか、平気になるのだろうか。


 空は晴れ渡っていて、ガウリイの蒼い瞳を思い出させる。
 空だけではない。
 目につくもの全てからガウリイを思い出し、その度に胸にぽっかりと空いた穴が痛みを訴える。
「なんて乙女ちっくな・・・。」
 呆れた声を上げても、自分の心情に何の変化も起こらない。
ふぅ
 リナは足を動かし続けた。
 ガウリイはどこかで幸せに生きているだろうか。
『さよなら、リナ。』
 ふと蘇るガウリイの別れの言葉が身体に響き、息が詰まる。
 リナは歩みを速めた。
 最後に優しい笑みを浮かべてくれたことを思い出す。
 最後まで、優しい保護者だった。
 たまにその瞳の奥に何かがあるような気はしていたのだけれど、実際のところはどうだったのか分からないままだ。
 いや、別れをガウリイから言ってきたのだから、保護者以外の何でもなかったのだろう。
 それでも。
ガウリイにとって自分がただの旅の連れだろうと、守るべき子どもだろうと、自分にとってガウリイは世界以上の存在だった。
 きっとこの先も彼より大事な存在はできないだろう。
 
「こんにちは、リナさん。」

 リナはますます足を速めた。
「ああああー、無視しないでくださいよぉ〜。」
 何やら情けない声を上げた黒い塊が、リナの数歩先に現れた。
 黒いおかっぱ頭を揺らして、にこにこ無意味に笑う魔族がそこにいた。
「何の用なの、ゼロス?」
 リナは軽く腰に手を当てて問う。
 不機嫌を装うが、警戒は解かない。ゼロスが無目的に出てくるとは思えなかった。
 リナなど微笑みながら殺すことができる獣神官は、楽しそうに笑った。
「リナさん、素敵な負の感情ですね。」
 挨拶代わりに述べてくる言葉に、リナは盛大に眉を顰めた。
 どうやら、ゼロスにおいしく食事をさせてしまったらしい。それがどんなに嫌でもリナは自分の感情を変える術をもたない。
「だから、何の用なのよ?」
 苛々と問いかけると、ゼロスはすっとその菫色の双眸を開いた。
「あなたを殺しに・・・と言ったら?」
「ふーん。」
 リナは興味なさそうに相槌を打った。
「リナさぁ〜ん、少しは怯えるとか怖がるとか、敵意を燃やすとかしてくださいよぉお。」
 ゼロスががっかりした表情で哀願するが、そんなことはリナの知ったことではない。
「あんたがあたしを殺す気なら、声なんか掛けないで一瞬で済ませてるでしょ。上司命令でない限り、あんたはあたしを殺さない感じだし、上司命令なら速やかに実行するんでしょうし。」
 ゼロスは楽しそうに目を見張った。
「さすが、リナさん。素晴らしい読みです。」
 馬鹿にされているように感じるが、これでもゼロスなりにリナを褒めているのだろう。
「ところで、リナさん。ガウリイさんの姿が見えないんですが。」
「だから何?」
 鋭い声を発し、自己嫌悪に陥る。
 ゼロスに色んな負の感情をプレゼントしてしまった。
ゼロスなんかに苛立ったって、自分には一銭の得にもなりはしない。
「別れちゃったんですか?」
「だったら何?」
 しつこく聞いてくるゼロスに無駄な殺意が沸く。
「噂は本当かもしれないですねぇ。」
「何の噂よ?」
 苛々とリナは聞いた。
ゼロスはにっこりと口を開いた。

「ガウリイさんが亡くなったと聞いたんです。」

 目の前が真っ暗になった。
 何を言われたのか分からない。
「何・・・、何を言って・・・・?」

「え、聞こえませんでした?」
 ゼロスの声に明らかに混じる愉悦の色。
「ガウリイさんが亡くなったと。」

 リナは呆然とゼロスの顔を見た。
 ニコ目の魔族もリナの顔を見ていた。
「そんな・・・そんなの・・・。」
 嘘。
 そう言いたかった。
 けれど、リナは知っていた。
 魔族は隠し事をすることはあっても、嘘はつかない。
 なら、彼の言葉は真実なのか。
 ああ、でも。
 嘘ではないけれど真実でもないことを言うのがお家芸のゼロスだ。彼の話が真実だとは誰にも言い切れないはずだ。
 にこにことゼロスは口を動かし続ける。
「いえね、ほら、ガウリイさんって殺しても死にそうに無いイメージがあったんですよね。リナさんといながら生き延びてましたし。守るものがあるからこそのしぶとさだったんですかね〜。リナさんと別れてたんなら、ガウリイさんが亡くなったという話にも納得できますよね。あれ、この話ご存知ありませんでした?」
 楽しそうにゼロスは続ける。
「僕も小耳に挟んだだけですから、あなたが知らなくても不思議はないですね。」
 実に楽しそうに食事をしているのだろうゼロスに、益々喜ばせるだろう殺意を覚えつつ、リナは声を絞り出した。
「・・・・・いつなの?」
「えーっと、3日前くらいですかねぇ。」
「3日も前・・・。」
 リナは呻いた。
 どこかで、笑っていると思っていたのに。
 あの穏やかな笑みを浮かべて過ごしていると思っていたのに。
 彼は3日も前に喪われていたという。
リナは首を振った。
 ゼロスの話を受け入れたくない。
 彼がどこにも存在しないなんて信じられない。
「・・・どこで・・・?」
「え、ガウリイさんが亡くなったという場所ですか?」
 『ガウリイが亡くなった』というその言葉が、リナの胸を黒々と塗りつぶす。連呼しないで欲しいと思っても、ゼロスはリナの負の感情を楽しんでいるのだから言っても無駄だろう。
「トスローという村です。ここから北西に徒歩5日というとこですかね。」
「そう。」
 リナは頷くと、呪文の詠唱に入った。
「翔風界!!」
 リナの身体が高速で空気を切って飛ぶ。
「ふふ、頑張ってください。」
 楽しそうに言う声だけがリナに届き、ゼロスの気配は唐突に消えた。
 リナは眉を顰めたものの、術に集中し北西を目指す。
 確認しなければならない。
 リナは拳を握り締めた。
 嘘だといい。
 嘘だと思いたい。
 でも、本当だったら。
 いや、結論を出すには早過ぎる。
 ガウリイ、ガウリイ、ガウリイ!!
 リナは、声に出すことなく胸中で彼の名前を呼び続けた。


(2005 6/28)