あなたを失う  story of L-4

 葉の生い茂った木々の間、隠れるように小屋は立っていた。
 小さな小屋だったが、生活に必要なものは揃っているようだった。
「上着脱いじゃって。あの触手にやられたんなら、傷が一箇所ってことはないんでしょ?」
 リナが言うと、ガウリイは苦笑した。
「ああ。」
がしゃん、かちゃかちゃ
 ガウリイはまず胸甲冑を外し、ついでに他の装備も外していった。
 リナもとりあえず、肩当とマントは外し、それから、入り口にあった桶に水を満たした。
「脱いだぞ。」
 言われて、リナは振り返り、眉を顰めた。
 無駄な贅肉のない鞭のように鍛え上げられた身体には、抉り取ったような傷や、切り裂かれた傷、貫かれた傷が幾つも治りきらずに走っていた。
 特に脇腹の貫かれた傷はぱっくりと口をあけ、赤い血を流している。
「これで全部?」
 尋ねると、ガウリイは頷いた。
「ああ、足のは掠り傷だったからもう塞がってる。」
「そう。じゃ、座ってて。」
 ガウリイを椅子に座らせると、リナは呪文を詠唱した。
「麗浄和。」
 ガウリイの全身が淡い光に包まれた。
 解毒してから、リナは今度こそ治癒の呪文を詠唱する。
「治癒。」
 リナの手が翳された傷は徐々に塞がっていく。

 傷ついたガウリイの身体。
 リナといても傷ついていたけれど。
 リナといなくても彼が怪我を負うことはある。

 リナの手が少し震えた。
 術が途切れることがないように集中しながら、リナは彼の傷を癒していく。

 ガウリイの金色の髪。
 穏やかにリナを見下ろしてくれる蒼い瞳。
 これが喪われかけたのだ。

 リナはガウリイの背中に回った。
 背中の傷を治すには邪魔なので、髪を前にもっていってもらう。
 さらに、背もたれも邪魔なので、この際だからと立ってもらった。
 治癒をかければ怪我をしている本人の体力は奪われていくものなのだが、呆れたことに、この男はふらつきもしない。
「相変わらず体力だけはあるのね。」
「だけって、お前さん・・・なぁ。」
 リナが呆れたように言うと、苦笑が返ってきた。
 懐かしい会話。
 リナは再び呪文を詠唱する。

 ガウリイの広い大きな背中。
 リナを庇って何度も傷ついていた背中。
 今も傷を負っている背中。
 
 リナは治癒の術をかけ終わると、桶に布を浸して絞り、血に汚れたガウリイの身体を拭いていった。
「そのくらい自分で・・・。」
「背中は見えないでしょ。」
「そうだけど・・・。」
 リナはまず背中からこびりついた血を拭いていった。
 それから前に回り、特にわき腹のまだ乾いていない血を拭う。
 全部拭い終わると、綺麗だった布は赤く染まってしまっていた。
「洗濯しても無理そうね。」
「捨てといてくれ。」
「分かったわ。」
 リナはゴミ箱に布を捨ててから、血のついた自分の手を洗った。
 そのリナの手をガウリイがなんとも言えない顔で見ていた。
「すまん・・・。」
「洗えばおちるわ。」
 リナは首を振った。
「傷、治してくれてありがとな。」
 ガウリイの言葉に、リナはびくりと震えた。
「リナ?」
 ガウリイが首を傾げたが、それには応えず、リナは無言でガウリイに近寄った。
 リナの白い手がガウリイの手をとった。そして、手首に指を押し当てる。

とくとくとく
 指先に脈を感じる。

 ガウリイは無言でリナを見守っていた。
 リナは次に、ガウリイの左胸に手を当てた。

どくんどくん
 心臓の音が聞こえる。

 ガウリイは少しびくりとしたものの、動かなかった。
 ただ、首を少しだけ傾げた。
「リナ?」
 低い耳に心地よい声が自分を呼ぶのを聞いて、リナは顔をくしゃりと歪めた。
 細い腕を伸ばし、ガウリイの背に回して、左胸に耳を押し付けた。

どくんどくんどくん
 命の鼓動がする。

「リ、ナ・・・。」
 ガウリイはまたびくりとしたが、リナの身体を引き離しはしなかった。そんなことはせずに、リナの頭に片手をぽんっと乗せた。
「リナ?」
 優しく問いかける声に、リナは腕の力を強めた。
「心臓が動いてる音がする。」
「ああ、生きてるからな。」
 ガウリイは優しく頷いてくれた。
 リナはガウリイの胸に額を当てた。
「もう、名前呼んでもらえないかもって思った。」
「・・・別れたからか?でも、再会すれば・・・。」
 ガウリイの言葉にリナは首をかすかに振った。
「違う。・・・あんたが、死んだって、聞いたの、よ・・・。」
 震えるリナの声にガウリイは彼女の頭に置いていた手で、髪を宥めるように梳いた。
「この村で、レッサー・デーモンを退治してたらヤツが現れたんだ。駆けつけてきてくれた村の人を逃がそうとして、ちょい無理しちまってな。あっちにダメージ与えられたけど、こっちも馬鹿にならない傷負って・・・。で、せめて怪我を治す間だけでも隠れとけるように、って、村の人たちがオレの死を偽装してくれたんだ。」
 静かに話すガウリイの声に、リナは唇を噛み締めた。
 やっぱり馬鹿だ、この男は。
 村人を逃がすために、かなりの無茶をしたのだろう。
 ここまで怪我を負うなんて・・・。
「傷が治りきらんうちに、墓地に瘴気を感じて、リナが戦ってて、すごくびっくりした。」
「怪我、治って・・・ないのに、出てくる、なんて・・・なんて馬鹿なの・・・。」
 リナの怒ったような言葉は、震える声によって弱弱しいものになる。
「リナがいたからな。お前さんの気配感じたのに、放っておけないし。」
「怪我してたんでしょ。あたしに治せる怪我だからよかったけど・・・。でも、援護に来て返り討ちにあってたらどうしたのよ。」
「どうした、かな・・・。」
 ガウリイは曖昧に笑ったようだった。
「何も考えてなかったわけ?」
 リナがキツい口調で問うと、ガウリイは黙ってしまった。
「・・・・・。」
 その沈黙にガウリイを怒らせたかと、リナは不安になった。
 おそるおそる顔を上げると、リナを見下ろす優しい蒼い瞳があった。
 ガウリイが口を開く。
「危険だとしても、そこにリナがいるなら行くさ。もう会えないかもしれないと思ってたお前さんに会えるなら、どこにだって行く。」
 きっぱりといわれて、リナは大きく目を見開いた。
「馬鹿。」
「うん。」
「馬鹿っ!」
「うん。」
「ば・・・、か・・・ぁ。」
 リナはガウリイの胸に額を押し付けた。
 リナの身体がかたかたと震えた。
「あたし、あんたが死んだって聞いたんだからっ。」
「うん。」
「もう会えないって思ったわ。」
「うん。」
「信じたくなかったのに、ここに来たらあんたの墓があったのよ。」
「うん。」
「・・・泣けなかったの。」
「うん?」
「・・・誰も『泣いていい』っていってくれないから。」
「そっか・・・。」
 ガウリイの両手がリナの身体を引き寄せ、抱きしめた。
 片手でガウリイは彼女の髪をゆっくりと何度も梳いてやる。
「『泣いていい』ぞ・・・。」
 優しく囁かれて、リナは目頭が急速に熱くなるのを感じた。
ぽろぽろ
 涙が溢れ出す。
「・・・あ、あんた・・・が・・・いないと・・・泣けない・・・のよっ。」
「そっか。」
 ガウリイの腕の力がきゅっと強くなる。
「・・・生きてて、くれて・・・よかった・・・。」
「うん。」
「・・・治せる怪我で・・・よかった・・・。」
「うん、ありがとな。」
「ガウリイ・・・。」
 リナはやっと彼の名前を呼んだ。
「うん・・・。」
 応えてくれる声に、涙が止まらない。
 名前を呼んでも答えがないのが怖くて、ずっと声に出すことができなかったのだ。
 やっと、呼べる。
「ガウリイ・・・。」
「リナ・・・。」
 名前を呼ばれて、リナは震えた。
「・・・もっと、名前呼んで・・・。」
 囁くような声にガウリイも震えた。
「リナ・・・、リナ・・・リナ・・・。」
 ガウリイがリナを掻き抱いた。
 苦しいくらいの力で抱きしめられても、リナは抗わなかった。逆に、自分もガウリイにきつくしがみつく。
「もっと抱きしめて。」
「リナ・・・。」
 ガウリイがリナの髪に顔を埋めた。
「もっと傍に来て・・・。」
「リナ・・・。」
 ガウリイがリナの耳元で名前を呼ぶ。
「あんたが生きてるって教えて・・・。」
「リナ・・・。」
 ガウリイの腕の力が少し緩んで、片手がリナの髪に潜り込んだ。
 見上げたリナの顔にガウリイの顔が近づいてくる。
「ガウリイ・・・。」
 リナが目を閉じると、残っていた涙が彼女の頬を伝った。
「リナ・・・。」
 ガウリイの唇がその雫を啜った。
「リナ・・・。」
 ガウリイの唇がリナの唇に重なった。
 唇は何度も優しく降り注ぐ。
「ガウ・・・リイ・・・。」
「リナ・・・、リナ・・・。」
 キスの合間を縫って、名前を呼び合う。
 やがてガウリイの唇は深く重なり、激しくリナの唇を貪り始めた。
「・・・はっ・・・んぅ・・・ぁ・・・っ。」
 リナの吐息も奪いつくすように、ガウリイの舌がリナを追い詰める。
 ふっ、と唇が離れた。
 名残を惜しむように2人の間を銀色の糸が繋ぐ。
 リナの首筋に零れたそれを、ガウリイが舌で拭った。
「あ・・・っ・・・。」
 思わず甘い声をあげたリナをガウリイはぎゅっと抱きしめた。
 そして、そのまま抱き上げ、ベッドへ運んで彼女を優しく降ろす。
 戻ってランプの明かりを消してから、リナの上に覆いかぶさる。
 自分の上に垂れ下がってくる金色の髪に、リナは目を細めた。
 自分を見つめる蒼い瞳が熱く輝いているのに、リナは自分も見詰め返した。
「愛してる・・・。」
 囁かれる声に、リナは瞳を潤ませて腕をガウリイの首に回した。
「あたしも、よ・・・。」
 リナの言葉にガウリイが嬉しそうに微笑んだ。
 唇が再び降りてくる。
 リナはゆっくりと瞳を閉じてそれを受け入れた。
 深くなっていくキスに。
 熱くなっていく身体に。
 名前を呼ぶ低く掠れた声に。
 ガウリイが生きていることを全身で感じ取り、熱に溺れていった。


「傍にいてね・・・。」
 空が白みかけた頃、ガウリイの腕の中、素肌の胸に顔を寄せてリナは囁いた。
「もし、あんたがそれを望んで無くても・・・傍に、いて・・・。」
 ガウリイの腕がリナをぎゅっと抱きしめた。
「望んでないなんて無い!オレはリナの傍にいたいっ。」
 リナはガウリイの言葉を嬉しく、また恨めしく思った。
「何よ、あんたが、別れよう、って言ったんじゃない・・・。」
 ガウリイはリナの髪を梳き始めた。
「オレは・・・結構ロクでもない道歩いてきたから・・・、オレみたいな傭兵崩れじゃ、お前さんを幸せにできない、って・・・。」
「何よ、それ。」
 リナは顔を思いっ切り顰めた。
「おまけに、リナが欲しくてたまらなくなってくし、嫌われたくないし、リナは守りたいし・・・。」
「ばか。」
 リナの頬が真っ赤に染まった。
「離れても忘れられなかった。忘れられるとは思ってなかったけど、すごく辛くて・・・。こんな傷を負ったのも、たぶん、自分の命への執着が薄くなってたせいだと思う。」
「ガウリイ・・・。」
 リナはガウリイの頬を撫でた。
「ねぇ、あたしも忘れられなかったのよ。・・・あんたのことを思うなら別れた方がいいとは思ってたけど。」
「オレはリナなしでは幸せになれないぞ。」
 言い切る男をリナは睨んだ。
「だーかーらっ、あんたが別れを言い出したんでしょーが!もっとちゃんとそーゆーことを早く言ってくれてれば・・・。」
 ぶちぶち言うリナにガウリイは苦笑した。
「そーは言ってもなぁ。オレ本当にどうしようもないくらいリナに惚れてるから、怖がられたくなかったんだよな。こんな強すぎるもの、リナが受け入れてくれるとは思えなくて。」
 リナはガウリイをさらに睨んだ。
「見くびらないでよ。あたしがどんだけあんたを・・・。」
 言いかけて、リナは止めた。
 世界と引き換えにした罪をガウリイに教えるつもりはないのだ。
 途中で止めたのに、ガウリイは満面の笑みを浮かべてリナを見詰めていた。
 まるで全て分かっているとでも言いたげな蒼い瞳に、リナは魅入られたように動けなくなった。
 ガウリイがゆっくりと身体の位置を変えてリナを見下ろす形になる。
「リナ、愛してる。」
 優しく熱く囁かれて、リナは頬を染めて頷いた。
「うん。」
 ガウリイは触れるだけのキスをした。
「全力で守るよ。」
「うん。」
「だから、傍にいてくれ。」
「ん・・・。」
 リナは少し逡巡するように目を逸らした。
「リナ?」
 ガウリイは少し不安になって、頬に手を添えた。
 リナは何かを振り切るように、真っ直ぐにガウリイを見詰めた。
「ガウリイ。」
「うん。」
「もしかしたら、この先、とんでもない敵が現れるかもしれない。」
「ああ、絶対オレはリナを守るよ。」
「巻き込みたくなかったのよ、あたしは。」
「オレが望んでいるんだ。」
 見下ろしてくる蒼い瞳には強い強い意志が宿っている。
 リナは頷いた。
「うん。・・・あたし、ガウリイが死んだって思ったとき、どうしようもなくなってた。」
「心配、かけたな。」
 ガウリイの顔が辛そうに歪んだ。
「心配なんて生易しいもんじゃないわよ。」
「すまん。」
「謝らないで。」
「ああ、すまん・・・。」
 リナはガウリイの首に腕を回した。
「あんなのはもうごめんだわ。」
「うん。」
「だから・・・。」
「うん?」
 リナは紅い瞳に紅蓮の炎を宿してガウリイを見つめた。
「死ぬときは、あたしの傍で死んでちょうだい。」
「リナ・・・。」
 ガウリイは大きく目を見開いた。
「すごく傲慢だと思うわ。でも、最期まで一緒にいたい。」
「リナ・・・。」
 ガウリイは微笑んだ。
 ひどく優しい微笑にリナは頬を染めた。
「そーは言っても、あたし死ぬ気なんかないし。あんたを死なせる気もないわ。」
「ああ。オレだってリナを死なせたりなんかしない。」
 リナは微笑んだ。
「でしょ?だから、一緒にいて、一緒に生き抜こ。」
「ああ、ずっと一緒に生きていこう。」
 ガウリイの唇が降りてくる。
 リナはゆっくりと瞳を閉じた。
「愛してる・・・。」
「ん・・・。」
「愛してる・・・。一緒にいような・・・。」
「うん・・・。」
 ガウリイの熱を感じる。
 愛してる。
 ガウリイを愛してる。
 ガウリイとずっと一緒にいたい。
 



 数日後、トスローの村の外れの墓地から、ひとつの墓石が消えた。
 闇を凝らせたような魔族がそれを面白そうに眺めていたらしい。


 やっと終わりました。アップしてる間に日付が変わってしまった・・・。(2005 6/28)

あとがき