夜も更けゆき、小さな村は闇に包まれる。
 星明りに何とか目が慣れてきたリナは、暗がりに姿を潜めていた。
 目の前にあるのはナンシーさんの畑。ここのニンジンがそろそろ食べごろなので、狙ってくるのではないか、というジェシー老人の言葉を参考にしたのである。
 夕飯を食べた後なために、そろそろ眠くなってきたリナはあくびをかみ殺した。
 眠い。ひたすら眠い。しかし、相手が油断できるモノではないのも事実。なんとか緊張感を持続させなければならない。

 ぽきっ

 何やら瑞々しい音が響いたのに、リナは瞠目した。
 音のした方向に目を凝らすと、大きな黒い塊が畑に屈み込んでいる。
 いつの間に・・・っ。
 リナは舌打ちを堪えた。そして、気を引き締めなおした。現れたことに全く気づけなかった。ということは、相手が少なくとも気配を殺すことにおいてリナより優れているということに他ならない。
 リナはそっと口を開き、小声で力ある言葉を紡ぎ出す。
 そして、目を閉じ―――。
「明かり!!」
「ぐわぁっ!」
 悲鳴が上がったのを聞いて、リナは目を開き、畑に近づいた。
 魔法で生み出した光が魔物の姿を白々と照らし出す。
 畑には目を押さえしゃがみ込む男。
 腰よりも長いであろう髪は、薄汚れ、艶を失っているがおそらく金色。片手で覆われているため、目の色は見えないが、薄汚れた顔には髭が伸びている。地面についた手には途中で折れたニンジン。おそらくは、掘り起こそうとしたニンジンが折れて、リナに気づかせることになったのだろう。
 ちゃきりっ
 リナは男の首筋にショート・ソードを突きつけた。
「動かないで。」
 溜息をつきたいの我慢しながら、リナは低い声で命じた。
 レッサー・デーモンを一撃で葬ったというから、どんな魔族かと思っていたら、髭面の小汚い男だったのだ。脱力したとて、誰もリナを責めないのではないだろうか。
「抵抗しなければ、命まで奪うつもりは・・・。」
 言いかけて、リナは男の腰の長剣に目を留めた。立派な柄と鞘である。刀身がどうかは分からないが、小汚い男には不釣合いだ。それでも、その剣は妙に男に馴染んでいた。
「あんた・・・、レッサー・デーモンを倒したって本当?」
 気づけば、知らないうちに口が動いていた。
 この長剣を操り、レッサー・デーモンを一撃とはいかなくても倒したのだとしたら、相当な腕の持ち主だということになる。ならば、リナが今突きつけているショート・ソードなど隙を見て払うことも可能なはずだ。
 油断できない。
 リナが睨む先、男はゆっくりと目を覆っていた手を下ろした。
 現われたのは蒼い蒼い瞳だった。
 リナは息を呑んだ。
 なんて綺麗な目・・・。
 晴れ渡った空のようなどこまでも澄んでいるのに深い瞳にリナは見惚れかけ、慌てて自制する。
「れっさー・・・なんとか、って何だ?」
 男の口から出てきたのはなかなかの美声だったが、残念ながらのほほんとした口調で言うその内容が頂けない。とりあえず、声からすると青年のようだが・・・。
「レッサー・デーモンよ!!瘴気撒き散らして、口から光の矢を出して、何の獣に似てるか言えない魔族!!」
 苛立つリナに、男はふむ、と頷いた。
「あー、あれかな。・・・変な気配させてて、口から光出してくるやつ。それなら、オレ倒したことあるぞ。」
 リナは男の物言いに尚更脱力したくなったものの、何とか気を引き締めようと試みた。この男が嘘を言っていない―子どものような物言いからすると嘘をつくような能があるとも思えないが―なら、やはり男は剣技においてはリナより上だということになる。
「何で野菜をとっていくの?」
「山に野菜は生えてないんだ。肉なら狩ればいいんだけどなぁ。うちの畑、野菜がとれなくなっちまったから・・・。」
「何で野菜がとれなくなったの?」
 リナは頭を抱え込みたくなってきたのだが、自分を励ましながら、言葉を搾り出す。
「えっと・・・何でだろ?」
「山の中にずっと住んでたの?」
「おう。」
「何でここの畑に来たの?」
「近いし、野菜が生えてたから。」
「何で夜に来るの?」
「前に昼にこっそり来たとき、見つかって追っかけまわされたんだ。」
「そう・・・。」
 だんだんリナには事情が飲み込めてきた。
 この男は理由は分からないが山の中で暮らしていた。しかし、畑の世話の仕方が分からず、畑を枯らしてしまった。言葉は話せるものの、男の言動は練れていない。そこから推察すると、彼は他人とあまり接したことがないのではないだろうか。
「で、何で、こっそり行動してんの?」
「父様と母様が、見つからないようにいっつもしてたからな。あ、でも、お前さんに見つかっちまったな。」
 男とその両親は何者かに追われている様子だ。駆け落ち、とかかもしれないが、山奥に篭るのだから、よほど追っ手に怯えているのだろう。
「あんた、お金って、知ってる?」
「なんだ、それ?食えるのか?」
ふうっ
 男の返答にとうとうリナは溜息をついた。そして、ショート・ソードを鞘に収めた。
 男は不思議そうにリナを見ていてが、何の言葉も発しない。
「剣をつきつけられてたのに、全然怯えないのは何で?」
「え、だって、殺気はなかったし・・・。お前さん、いきなり切りかかってくる感じしないし。」
 そうであっても、刃をつきつけられても常と変わらぬ態度がとれるのだから、大物なのかボケているだけか。
 リナは額を片手で押さえ、口を開いた。
「あのね、この畑はあんたのものじゃないの。勝手にとっちゃ駄目なのよ。」
「えっ、そうなのか?」
「そうなの!!で、欲しけりゃ、持ち主とお金か他の何かと交換しないと駄目よ。」
「ふぅ〜ん。他のものって何だ?」
「例えば!!宝石!!じゃなくても、あんた、狩りをするんなら、とった獲物とか!!」
「そーだったのかぁ。」
 男はふむふむと頷いているが、リナは眉を顰めた。
 いくら、この男が物知らずでも、畑のものを盗った時点で罪は罪。村長たちの様子からして、この男を怖がっているのに変わりはないだろうし。事情を説明しても受け入れられるとは限らない。この間抜けな男のことを『魔物』とまで言っていたのだ。恐怖心や不信感を払拭するのは難しい。
「あんた、この山を離れる気はないの?」
 リナの中から、この男を倒すという考えは消えていた。
「ない。」
 男の短い返事に、リナは眉を顰めた。
「でも・・・ねぇ。あんた、この村の人に迷惑かけたのよ。」
「でも・・・。」
「交換条件とかないの?何か欲しいものは?できるだけ叶えるから・・・。」
 リナの言葉に男は黙り込んだ。
 リナは悩む男を黙って見詰めた。
 しばらく考え込んだ後、男はゆっくりと口を開いた。
「お嫁さん。」
「は?」
「お嫁さんが欲しい。」
「え、と・・・。」
「お嫁さんをくれるんなら、ここを離れてもいい。」
「・・・・・。」
 男の欲しいものに、リナは困ってしまった。
 この小さな村に若者は少ないだろう。そして、魔物と恐れられている男に嫁ごうという娘など皆無に違いない。
 なるべく穏便に、男と戦うことなくすませたいのだが・・・。
 リナは口を開いた。
「探してみるわ。・・・とにかく、あんたはいったん帰りなさい。で、明日の昼ごろ、そこの山の麓で待ってなさい。・・・くれぐれも勝手に畑に入ったり野菜とったりしたら駄目よ。」
「分かった。」
 男は素直に頷いたが、ふと困った顔をした。
「なぁ、これも駄目か?」
 そう言って、ぱっきりと折れたニンジンをリナに見せてくる。
「それだけ持っていきなさい。でも、他のはもう駄目よ?」
「おう。」
 男は頷いて、嬉しそうにニンジンを持って立ち上がった。
 立ち上がると、男がかなりの長身であるのがよく分かる。確かに、2m近くあるだろう。小柄なリナは目線を合わせるのに結構苦労する。
「じゃあ、明日な。」
「ええ。」
 男は手を振ると、夜の山へと去っていった。
 リナは困った顔のまま、村長の家へと向かった。



2005 8/6