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 晴れ渡った青い空を何となしに見ながら、リナは山の方へ歩いていっていた。
ふぅ
 思わずといった感じで愛らしい唇から溜息が漏れてきた。
 リナは昨夜の村長とのやりとりを思い出していた。

 魔物と呼ばれる男の願いを伝えると、村長は激昂した。
「嫁ですと!?そんな要求は呑めません!!」
「あー、その・・・。」
「生贄を求めるとは何と卑劣な・・・っ!」
 生贄とかいう単語はあいつ知らないんじゃなかろうか・・・。
 男とのやり取りを思い出し、リナは額に一筋の汗を浮かべた。
「やっぱ無理ですよね。」
「無理に決まってます!!追い出すだけでは生温い!!及ばずながら、我ら村民も一致団結してリナ殿にご助成を!!」
「いやいや、足手まといだからいりません。」
「えっと、そんなきっぱし言わなくても・・・。」
 少々落ち込んだ村長は気にせず、リナは口を開いた。
「この村に腕のいい彫り物師か、人形師はいるかしら?」
「ええ、人形師なら、都から注文がたまにくるくらい腕のいいのが一人おりますが。」
「ふむ。なら、こんなのはどうかしら・・・。」

 山の麓に近づいてきたので、リナは回想をやめた。
 深い緑の木々の間、魔物と呼ばれる青年の姿は見えない。
「まだ、来てない・・・?」

「来てるぞ。」
がさがさっ  したっ

 リナの呟きに応えるように、木の上からひらりと飛び降りる影。
「よっ。」
 片手を挙げて軽く挨拶してくる男を見て、リナは右手を閃かせた。
すぱっああああん
「脅かすなぁああ!!!」
「いってぇええ!!」
 青年は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
 彼が見上げた先、少女の手には見たことのないもの。
「なんだ、それ?」
「スリッパ。室内ではく靴よ。」
 簡潔に答えて、リナは懐にそれをしまい込んだ。
「・・・・・・・・なんでそんなもんが懐に?」
 不思議そうな顔で聞いてくる青年にリナはにやりと笑った。
「乙女の秘密よ。」
「おと、め・・・?ああ、処女のことかな。」
 さらりと出てきた言葉にリナの顔が真っ赤に染まった。
「ばっ、なっ、ちょ、ちょっと!!何でその・・・物知らずのあんたがそんな言葉を?」
「ああ、父様に教えてもらったんだけど。あ、女の子の前じゃ言っちゃいけなかったんだっけ。すまん。」
 潔く下げられる頭に、リナは言葉を失った。
 思いっきり責め立てたかったのに、こう簡単に謝られるとどうしたらいいか分からなくなる。
「うう・・・。二度とその手のセクハラ発言はやめてちょうだい。次言ったら、問答無用で吹っ飛ばすから。」
 じろりと睨み付け、リナは紅潮した頬を何とか元に戻した。
 そして、用意してきた敷物を大きな樹の陰に広げてその上に座り込む。
「あんた、お昼ご飯は食べたの?」
 尋ねるリナに男は首を振った。
「だと思った。野菜盗っちゃダメって言ったしね。だから、作って来たのよ。」
 リナは弁当を次々と敷物の上に広げていった。その量はざっと10人前。
「うまそう・・・。」
 男は目を輝かせて座る。
「うまそうじゃなくて、美味いのよ!!さ、食べましょ!」
 リナの声を合図に、2人は猛然と食事を開始した。

「ああっ、それはあたしのカラアゲさん!!」
「むぐむぐ・・・いいだろ。他のもいっぱいあるし。」
「あーたーしーが、どんだけそれを楽しみにしていたか!!許すまじ!!ていっ!」
「ああっ、それはオレが最後にとっておいたハンバーグ!!ひどいぞ!!」
「ふっ、弱肉強食早い者勝ちよ!!」
「くっそー!!ならば!!」

 なかなかにぎやかな食事風景である。
 嵐のような食事を終え、男は木陰に寝転がった。そして、満足げな溜息を吐くと、リナを見上げた。
「うまかった。ホントに。ありがとな。」
 蒼い瞳が穏やかに微笑んでいるのを見て、リナも微笑んだ。
「どういたしまして。ま、野菜とっちゃダメって言っちゃったからね。」
「でも、ありがとう。あんな美味いメシ初めて食べた。母様が亡くなってからは、味付け適当だったし。」
 リナはちょっと目を見開いた。
「え、と・・・。お母様、亡くなってるの?」
「うん。父様も。もう何年か前の話だ。墓があるから、あんまり離れたくなかったんだ。」
「そ、そう・・・。」
 リナは俯いた。
 両親が亡くなってから、この男はたった一人で、独りで、生きてきたのだろう。
 魔物だなどと、恐れられながら・・・。
 俯いたリナの視界に、節の目立つ大きな手が入ってきた。
 その大きな手は、膝の上で握られていたリナの小さな白い手をきゅっと握った。
「え・・・?」
 驚き、リナが目を上げると、いつの間に起き上がったのか、男がリナの顔を心配そうに覗き込んでいた。
「泣きそうな顔してた。そういうときは、お母様とお父様はこうしてくれたり、頭を撫でてくれたり、抱きしめてくれたりしてたんだ。大丈夫か?」
 訥々とした言葉は優しくて、リナは不覚にも目頭が熱くなるのを覚えた。
 紅い瞳を潤ませた少女に驚いた男は、空いていた方の手を少女の肩に置き、ぽんぽん、と優しく叩いた。
「なぁ、泣くなよ?大丈夫だから・・・。」
 優しく声を掛けながら、覗き込んできた蒼穹の瞳に、リナは見入った。
とくっ
不自然に跳ね上がった鼓動と、何故か赤らむ頬に驚き、リナは男の手から乱暴にしないように身を離した。
「だだだ大丈夫よっ。」
 少々動揺が残っていたものの、リナは言い放った。
「そっか。」
 男は髭の奥からにこりと頷いた。
「あの、ね。お嫁さんなんだけど。」
 話題の転換を図ってリナはここへきた本題を口にした。
「あ、見つかったのか?」
 男が目を輝かせた。
 その様子にリナは胸が疼くのを感じた。
「え、と・・・ね。うん。でも、お嫁さんになるには準備がいるのよ。その・・・、綺麗に飾ったりしなきゃいけないし。」
 罪悪感に苛まれながら、リナは何とか言葉を紡ぐ。
「綺麗に・・・?そっか。お嫁さんてドレス着たりするんだよな。」
「うん。そう。それを準備してるとこよ。」
「オレ、綺麗な布、持ってるぞ。母様用のやつ。奥にしまっといたから、まだ綺麗だと思うぞ。」
「へ、へえ。」
「持ってくる。」
「待って!!」
 男がすぐに踵を返そうとしたのを慌ててリナは引き止めた。
「ん?」
 男が不思議そうに振り返った。
「あの、ね。すでに準備は始まってるから・・・。布、明日でいいから。見て使うかは決めるわ。明日、またお昼にここで会いましょう。」
「そっか。分かった。」
 にっこりと男が笑った。
「あ、あとね。・・・これ、もって帰りなさい。」
 リナは大きな籠を男に渡した。
「これは?」
 男は籠を抱え、首を傾げた。
「晩御飯よ!残したら許さないからね!!」
 リナは言い放つと、耳まで真っ赤に染めて村の方へ走り去っていった。
 その後ろ姿を呆然と眺めていた男は、くすぐったそうに微笑んだ。
 男の胸は両親が死んでから久しくなかった温かいもので満たされていた。

 男は約束どおり、布を持ってきた。
 お食事争奪戦を繰り広げた後、リナは布を受け取った。
「綺麗なんだ。見てくれよ。」
 男が嬉しそうに言うので、リナは別の布で包まれたものを開いてみた。
さらり
 綺麗な布だった。
 光沢を放つ淡い水色の絹。
「綺麗・・・。」
 感嘆の吐息を漏らしたリナに、男は目を細めた。
「お前さんに似合いそうだな。」
「へっ・・・?」
 面食らったリナは、蒼い瞳が嬉しそうに細められているのを見て、頬を染めた。
 慌てて視線を逸らし、素っ気無く口を開く。
「馬鹿ね。これはあたしが着るんじゃないでしょ。」
「あ、そっか。あ〜、でもな〜。」
 男は何やら悩みだした。そして、ぽんっと手を打った。
「そうだ。それ、お前さんにやるよ。ご飯のお礼に。お嫁さんはもうドレスがあるんだろ?」
「それはそうだけど・・・。」
 微笑む蒼い目に、居た堪れなくなってリナは膝の上に広げた絹地に目を落とした。
 綺麗な絹。絹などを持っていたということは、男の両親は貴族か何かで、お家騒動か、駆け落ちか、で山に・・・?
 母親の思い出もあるだろう布地を前にして、どこかで冷静に分析をしているのに、同時に胸の内に広がっていく罪悪感。
胃がむかむかしてきた。
「お嫁さんがどんな人かは知らないけどさ。その布はお前さんによく似合ってるから。」
 にこにこと男が言う言葉に、リナの胸はずきずきと痛んだ。
「ありがと。」
 何とか礼を言うと、男は満面の笑みを浮かべた。
 艶のないばさばさの髪の奥の瞳は、本当に優しい色をしている。
 リナは立ち上がり、今日も持ってきた晩ご飯の入った籠を男に押し付けた。
「まだ、お嫁さん、準備がいるから。」
「そっか。明日もお昼にここに来ればいいか?」
「ええ。」
「メシ、ありがとな。」
「別に。あたしも・・・布、ありがと。」
 頬を染めて礼を言う少女に、男は目を細めた。
「いや。」
「じゃあね。」
「ああ。」
 男は村の方に去っていく背中を見詰め、微笑んだ。
 ふと腕の中の籠に目を落とし、男は小さく息を吐いた。
 昨日の晩ご飯も美味しかった。
 冷めても味の落ちない料理の数々は嬉しかった。けれど、昼に少女と食べたご飯の方が何倍も美味しかったように思えた。
 きらきら輝く紅い瞳や、満足そうな笑顔や、母のものより高い声、俯いて赤くなる頬、そんなものが浮かんでは消えた。
 今日の昼ご飯は美味しかった。
 少女がいるといないとでは、味が違うように思えた。
「晩ご飯も一緒に食べてくれたらいいのに・・・。」
 男は無意識の内にそう呟いていた。

 "お嫁さん"の準備が整うまで、という約束で、リナは男にお弁当を持っていった。
 邪気のない男と過ごす時間は非常に楽しく、リナはますます罪悪感に苛まれていった。

 7回目の一緒に食べるお昼ご飯の後、少女が真面目な顔をした。
「お嫁さん、明日に準備できるから。」
「ホントか!!」
 男の瞳が輝いたのを見て、リナはそっと拳を握り締めた。
「だから、明日、会わせたげる。」
「そっかー。明日かー。」
 うれしそうにうんうん頷いていた男はふと首を傾げた。
「なぁ、お前さんはどうするんだ?」
「あたしは・・・、旅の魔道士だっていつか言ったでしょ?旅に戻るわよ。」
「そっか・・・。」
 男は胸にぽっかりと穴が空いたような心地がして首を傾げた。
 何故だろうか、胸の奥がぎゅっと締め付けられているようだ。
 リナは恒例の晩ご飯の籠を渡しながら、男を睨んだ。
「と・に・か・く!明日はその髪洗って綺麗にしてきなさい!髭も剃ること!服もできればもう少し綺麗なやつで!!小汚いカッコしてたらお嫁さんに会わせないからね!!」
 迫力満点の顔で睨まれて、男はこくこくと頷いた。
「お、おう、分かった。」
 男が頷いたのを確認してから、リナは身を翻した。
「じゃあね。」
「ああ。」
 走り去っていく華奢な背中を見ながら、男は溜息を吐いた。
 彼女が明日には去ってしまうことが無性に寂しかった。



 2005 8/6