村長の家の居間で準備をした後、リナは外に出た。
 強張った表情で、太陽の位置を確認する。
 村は静かだった。
 この日の為に、村人たちには一番近い町に総出で出かけてもらったのだ。
 下手な手出しをされて計画が狂っては困る。
 盗賊の心配をする村人たちに、リナは近くの盗賊団は自分が全て壊滅させたから大丈夫だと太鼓判を押したら、皆素直に従ってくれた。
 リナは強張った頬を撫でた。
 もうすぐ、魔物と呼ばれた男がここにやってくるはずである。
 リナの計画は男を傷つけるだろう。だからこそ、最後に村人たちと余計な争いをせずに、静かにこの地を去って欲しかった。

「待たせたか。」
 ふいに響いた声に、リナは慌てて俯いていた顔を上げた。知らず知らずのうちに、思考の海に嵌り、気配を探るのを怠っていたらしい。
 顔をあげたリナは息を呑んだ。
 リナをいつものように穏やかな蒼い瞳が見下ろしていた。しかし、艶のなかった金髪は陽を受けてきらきらと輝き、櫛を通したのかさらさらと風に靡いている。髭のなくなった顔は非常に整っており、その中でサファイアの様な瞳が輝いていた。
 こんな小さな村で嫁を探さなくても、街に行けば、この顔だけで何人でも綺麗なねえちゃんをひっかけられるんじゃなかろうか・・・。
 初めて見る男の美貌に驚きながら、もっともな感想を抱いたリナは首を振った。
「いいえ。待ってないわ。お嫁さんはまだ準備中だもの。」
「そっかぁ。」
「中に入って待ってなさい。」
 リナはガウリイを家の中に招き入れた。
「ここの隣の部屋にお嫁さんはいるけど、くれぐれも覗いちゃダメよ?」
 リナは客間に男を案内し、ソファに男を座らせるとドアへ向かった。
 それを見て、男は腰を浮かした。
「あ・・・、おい。」
 声を掛けられてリナはキョトンとして男を振り返った。
「何?」
「あ・・・、いや。えと、どこ行くのかな、って。」
 男は戸惑ったような表情で言った。
 リナは苦笑を浮かべた。
「いろいろ準備しに。あんたはここに座って待ってなさいね。」
 言うなり、ドアを押し開けたリナに、男はまた声を掛けた。
「あの、な。」
「何?」
「えと、昨日の晩ご飯もすっげーうまかった。ありがとな。」
「ああ、最後だし、結構頑張ったから。気に入ったならよかったわ。」
 リナはにこりと笑んで、今度こそ、ドアの外に出た。
 ドアを閉め、足早にそこを離れる。
 思った以上に、辛い。
 男の無邪気な感謝の言葉が胸に痛かった。

 少女が消えた部屋で、男は落ち着かない様子で座っていた。
 お嫁さんに会えるのが待ち遠しい。けれど、少女と別れるのがとても悲しい。
 少女が部屋を出て行こうとしたときも、彼女がこのまま去るのではないかと不安で声を掛けてしまった。
 少しでも言葉を交わしたくて、昨日の晩御飯の礼を言ってみたのだが、少女の反応はいつもと違っていた。いつもなら、褒めれば照れて頬を染めるのに、彼女はただ微笑んだだけだった。
 なんだか少女を遠く感じた。
 男は胸に手を当てた。
 彼女が去ると知ってから、ずっとそこがズキズキと痛みを訴えてくる。
 お嫁さんが来てくれることが嬉しいはずなのに、胸にぽっかりと穴が開いたような心地がする。
 男は部屋を見回した。
 初めて、他人の家に入った。
 簡素な造りの部屋だな、と思った。
 置いてあるものも、男と両親が住んでいた小屋の方が綺麗で立派なものが置いてあるように思う。
 どうしてなのか、少女に聞いてみようと男は思った。
 彼は落ち着かなくて立ち上がった。
 結構待ったのに、どうして少女は来ないのだろう。
 村人が来るわけがないことは彼には分かっていた。道すがら、村に人気がないのを察していたからだ。
 男はお嫁さんがいるという部屋の方向に視線を向けた。
 お嫁さんの準備はまだなのだろうか。
 本当に自分のお嫁さんになってくれるのだろうか。
 男は不安を感じた。
 少女を信じているけれど、村人たちは彼を嫌っていた。
 お嫁さんは自分を怖がったりしないだろうか。
 男はどんどん不安になってきていた。
 少女の気配が全然しないことが不安に拍車をかけていた。
 お嫁さんはもしかして逃げてしまったのではないだろうか。男のことを怖がって・・・。
 
がたんっ

 突然響いた音に男はびくっとなった。
 思わず、部屋を出る。
 少女の姿はどこにもない。
 しん、とした家の中、男は益々不安を覚えた。
 お嫁さんがいるはずの部屋のドアをちらりと見る。
 ここに、お嫁さんはいるはずだ。
 男は躊躇いながら、ドアに近づいた。
「なぁ・・・。」
 声を掛けようとして、男は気がついた。
 お嫁さんの名前を聞いていない。そういえば、少女の名前も聞いていなかった。
 ずっと両親と3人で暮らしていた男は名乗ったり、名乗られたりする習慣がなかったのだ。
 少女が戻ってきたら、名前を聞いてみよう。そして、自分の名前も知ってもらおう。
 戻ってきたら・・・。
 男は顔を歪めた。
 少女は戻ってくるのだろうか。
 今まで、彼女の言葉に嘘はなかった。だから、きっと戻ってきてくれるとは思う。
 そう思っても、不安は消えない。
 男は意を決して、口を開いた。
「なぁ、あの子がどこに行ったか知らないか?」
 しばらく待ってみたが、何の返事も返ってこない。
「なぁ、やっぱりオレが怖いのか?」
 尋ねてみるが、返事はこない。
 男の不安はピークに達しようとしていた。
 彼はドアノブに手をかけた。
 ドアノブを回し、そっとドアを開いてみる。
 覗いてみると、部屋の中にドレスを着た女性がいた。
 逃げたんじゃなかったのか・・・。
 安心して、男はドアを開いた。
 長い黒髪にほっそりとした体つきの女性が微笑んでいたので、男も笑みを浮かべた。
「あ、はじめまして。えーと、あの子、知らないか?」
 男は問いかけたのだが、女性は何の返事もしてくれなかった。
 男は困って、女性に近づいた。
 この時点で、少女が覗いてはいけないと言ったことなど忘れている。
「なぁ・・・。」
 男は腕を伸ばし、女性の肩に触れた。

がたーんっ

 黒髪が靡いて、ドレスの裾がふわりと舞うのを男は呆然と見ていた。
 倒れた女性が動かないのを見て、男は目を見開いた。
「あっ、おいっ!!」
 女性に駆け寄ろうとした男の耳は、軽い足音を聞きつけた。
 振り返ると、少女がいた。
 紅い瞳が不安そうに見開かれていた。
「お嫁さんが倒れたんだ!!」
 男が言うと、少女はすぐに女性に駆け寄った。



2005 8/6