リナはわざと音を立てた後、息を潜めて待っていた。
 計画通りに行くかどうか。
 見知らぬ場所で不安を感じているだろう男は、自分が考えた通りの行動をとるだろうか。
 どれだけ待っただろう。

がたーんっ

 大きな音が静かな家に響いた。
 その音を聞いてリナは駆け出した。
「あっ、おいっ!!」
 居間に駆けつけると、男が声をあげたところだった。
 男が振り返った。
 蒼い瞳が不安に揺れているのを見てとり、計画通りに進んでいることを確認する。
「お嫁さんが倒れたんだ!!」
 男の縋るような声が胸に痛い。
 リナは倒れているそれに駆け寄り、屈み込んで腕をとった。
 脈はない。
「心臓は動いてないわ。」
 告げると、男が目を見張った。
「だから、覗いちゃダメだって言ったでしょ・・・。」
「そんな・・・。」
 男の形のよい唇が震えた。
 蒼い瞳が見開かれ―――。

ぽろり

 水晶のような涙が溢れ出した。
 リナは目を見開いた。

ぽろぽろ

 止め処なく流れ落ちる透明な雫。
 綺麗な顔をした大きな男が泣く様は、胸が痛くなるほど綺麗だった。

「オレのせい・・・?」
 男の震える声にリナは食い縛っていた歯を緩めた。
「・・・お嫁さんは動かなくなったけど・・・約束だったわよね。」
「ああ、・・・・うん。・・・出て行くよ。・・・約束だったし・・・お前さんは・・・何も悪くないし・・・。」
 溢れる雫を拭うことなく、それでも、小さく微笑んで男は頷いた。
 何であたしを責めないのよ・・・っ。
 喉元まででかかった言葉を必死で封じる。
 男が自分から村を去ると言った。結構なことだ。もともと、この男の人のよい性格も考慮に入れた上ので計画だったのだ。

「ごめん。違うの。嘘よ。」
 リナは自分の口が勝手に動いたのに驚き、そして、安堵した。
「違う・・・?嘘?」
 男が涙を流しながら、首をかしげる。
「そう。これはお嫁さんじゃない。人形よ。」
 リナはごろりと大きな人形を転がした。
「え、あれ・・・?」
 男は女性だと思っていたものが、黒髪にドレスを着た見事な人形であることに気づいた。
 リナが目くらましの術をかけていた為、女性に見えただけだったのだ。
 暗示を解けば、いくら見事でも人形は人形。見間違えるはずがない。
 男に嫁を渡すことなく、村を去らせるためにリナが考えた計画であった。
「お嫁さんは逃げちゃったの。」
 まさか、始めからいないのだとは言えずに、リナは誤魔化すための嘘をつく。
「オレのこと、怖かったのかな・・・。」

ぽろぽろ
 目を見開いたリナの前で、男の目から更に涙が溢れ出した。
 男が力を失ったように床に座り込んだ。
「お前さんも・・・、旅に出ちまうんだよな・・・。」
ぽろぽろ
 溢れる雫がリナの胸を締め付ける。
「やっぱり・・・、誰もオレの傍にはいてくれないんだなぁ・・・。」
「・・・っ。」
 顔を上げたリナの目に、諦めたような泣き笑いの顔の男がいた。
「そんなことないわよ。」
 リナは自分の口から飛び出した言葉に驚いた。
 だが、驚くリナを余所に、男は力なく首を振っていた。
「いや・・・、だって、父様も母様も死んだ。・・・お嫁さんも逃げちまった・・・。誰もいない・・・。」

ぽろぽろぽろぽろ
 止まらない涙。
 リナは胸が締め付けられるような痛みを感じた。
 泣かないで欲しい。
 リナは心を決めると床に膝をつき、男の頬に手を伸ばした。
「いてあげるわ。」
 男の目が見開かれた。
「あたしがずっと傍にいてあげる。あんたが寂しくなくなるまで・・・。」
 男の手が頬に添えられたリナの手にそっと触れた。
「いてくれる・・・のか?」
「ええ。」
「ずっと?」
「そうよ。」
 だから、泣かないで。
 祈るような想いで見詰めていると、男の涙が止まった。
 濡れた蒼い瞳が晴れ渡った空のような色に輝く。
「じゃあ、お前さんがお嫁さんになってくれるのか?」
「へ?」
 リナは目を見開いた。
 男の片手がリナの手を握り、もう一方の手がリナの肩に回っていた。
「だって、ずっと傍にいてくれるんだろ?」
 小首を傾げる様子は、無心に信じている子ども。
「そうね。」
「それって、お嫁さんだよな。」
 大きく間違いではないが・・・・・なるほど。
 男がお嫁さんを欲しがった理由がやっと分かった。
 男は寂しかったのだ。
 だから、ずっと傍にいてくれる人が欲しかったのだろう。
 おそらく、両親に「お嫁さんとはずっと傍にいてくれる人」とでも教えられたに違いない。
「違う、のか・・・?お嫁さん、なんだよな・・・?」
 不安そうに揺れる蒼い瞳を見て、リナは小さく微笑んだ。
「そうね。」
 間違いは、一緒に旅をしながら覚えていけばいいだろう。
 そう思って言った目の前で、男が嬉しそうに笑った。
 全開満面の笑み。
 輝くようなそれに、リナは息を呑む。
 蒼い瞳が深みを増し、リナだけを映している。
「まだ、名乗ってなかっただろ。オレ・・・ガウリイっていうんだ。」
 男の表情にうっかり見とれていたリナは慌てて口を開いた。
「あたしは、リナ。」
 告げられた名前に、ガウリイが幸せそうに微笑んだ。
「リナ・・・。」
 さらさらと零れ落ちる金色の髪。
 きらきらと輝く蒼穹の瞳。
 整った顔が近づいてきて―――。
「・・・っ。」
 柔らかく触れた唇に、リナは息を呑んだ。
「リナ・・・。」
 鼻が触れそうな、吐息が混じりそうな、そんな至近距離で優しく名前を囁かれる。
 リナの頬が真っ赤に染まった。
「オレのお嫁さん・・・。」
 金色の長い睫が広がり、リナは慌てて目を閉じた。
 再び啄ばむ様に触れる、優しい口接け。
 驚いたことに、それは嫌ではなかった。
 まだ誤解を解いてないし、今言うと、傷つけそうだし。
 リナは口接けを受け入れてしまった自分に言い訳をした。
 それにしても、キスなんてどこで知ったのかしら・・・。
 目を開くと、幸せそうな笑みを浮かべる男―ガウリイがいる。
 リナは、素っ気無くならないようにゆっくりとガウリイの手を外して立ち上がった。
「さ、行くわよ。」
「え、どこへ?」
 ガウリイが目を見開いた。
「まずは、あんたが住んでたとこね。持って行くものを厳選しないと。」
「え、と・・・?」
 戸惑うガウリイにリナは微笑んだ。
「一緒に旅に出るのよ。傍にいるんでしょ?」
「あ、うん。うちに行って、その後はどこへ行くんだ?」
「どこにでも行けるわ。」
 リナがにっこりと笑う。
「どこにでも?」
「そうよ。どこにでも行けるの。あたしたちは自由で、世界は広いのよ。色んなところに行って、色んなものを見て、色んなものを食べましょう。」
「一緒に?」
「そう一緒に。」
「リナと一緒なら、どこに行っても楽しいな。」
 今日の晩ご飯もリナと食べて、明日の朝ご飯も昼ご飯も晩ご飯もリナと食べて、ずっと一緒にいられるなら、きっとずっと楽しいに違いない。
 ガウリイがにっこりと嬉しそうに笑った。
 真っ直ぐな言葉にリナの頬が赤く染まる。
「さっ、行くわよ!!」
「あ、待ってくれよ。ってゆーか、オレん家どこか知らないだろ?」
「そうよ!!だから、ちゃきちゃき案内しなさいっ。」
「おうっ。」
 走り出す少女の背を男は追いかけた。

 村長の家を出るリナの手にある大きな袋にガウリイは目を見張った。
「何だ、その荷物?」
「戦利品の数々よ。」
 胸をそらして自慢げに言うリナがなんだか可愛いような気がして、ガウリイは微笑んだ。
「持つよ。うわっ、重いぞこれ。」
「失くしたらおしおきだからね。」
「ああ。分かった。」
 山の中の自分の家へとリナを案内しながら、ガウリイは大きく息を吸い込んだ。
 世界は広い。
 リナの言葉を噛み締める。
 山に隠れ住んでいたとき、世界は狭かった。
 どこにでも行ける。
 リナはそう言った。きっとそれは嘘じゃない。
 不安も少しだけあるけれど、彼女と一緒なら大丈夫なような気がする。
 オレのお嫁さん。
 ガウリイは幸せで微笑んだ。



 青々と緑の深い山々の奥の奥に小さな村。
 数日村を空けていた村人たちは、戻ってきて村が無事なことにほっとしました。
 村長は自分の家の居間にメモを見つけました。
 そこにはこう書いてありました。

『魔物はもういない。』



 もとネタは『あくまのおよめさん』という絵本です。インドあたりの民話だと思います。
 悪さをする悪魔を賢いサル(笑)が知恵を働かせて村から追い払うお話です。
 絵本の中の泣きながら去っていく悪魔が何だかかわいそうでガウリイに重なりました(笑)。
 短編のつもりだったんですけどね。一話目が思ったより長引いてそこからこんなことに・・・。
(2005 8/6)