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 明るい日差しが降り注ぐキャラハンのマンションのキッチンで、シャツとジーンズ姿の華奢な女が冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出していた。
 リナ=インバースは、二日酔いの頭を軽く振りながら、水をコップに注いでいた。彼女はワイン3杯で限界だが、キャラハンは底なしだった。彼と飲むと、翌朝は決まってこの症状になる。
 リナはキャラハンが眠っている寝室の方向を振り返って、小さく微笑んだ。
 キャラハンはリナを宝石のように大事にしていた。リナが怖がらないように、リナが傷つかないように、リナに嫌われないように、彼女を壊れ物のように扱う。だから、リナは未だに処女だった。キャラハンは関係を持ちたいようだが、リナが怯える素振りを見せると簡単に退いてしまう。恋人となったからと簡単に夜を共にしたいわけではないが、キャラハンのその姿が、最近寂しく思えてきていた。
 やっぱ、胸ないし、色気が足りないからかな・・・。
 リナはやや寂しい胸元に目を走らせた。大事にしてくれるのは嬉しいのだが、自分の女としての魅力に自信が持てなくなる。キャラハンの地獄のような生殺しの日々を知らないリナは暢気なものである。
 リナは水を飲むと、今度はコーヒーを入れ、マグカップに並々と注いでリビングへと向かった。開いたドアから見えるキャラハンの寝顔に笑みを零し、テレビをつける。
 スイッチが入った途端、茶色のカーディガンを羽織った大統領の姿が映し出された。NBCの特別報道番組であることを知り、リナは立ち上がった。
「トーマス!起きて!!」
 トーマスの肩を叩いたが、反応は薄い。
「トーマスってば!!!」
 リナはいきなりキャラハンの被っているシーツを引き剥がした。
 朝の冷気に晒されて、キャラハンは身震いして半身を起こした。
 リナは腰に手を当てて寝ぼけ眼のキャラハンを睨み付けた。
「起きなさい!!大統領がTVに出てるわ!何かあったのよっ。」
 リナの紅い瞳がきらきらと輝いているのに見とれながら、キャラハンはベッドを降りた。
 リビングのソファに2人で座ると、丁度大統領が朝の挨拶を終えたところだった。
 大統領は豊かな銀髪に青い瞳の容貌の整った男だったが、そんなものに感銘を受けないキャラハンはリナを引き寄せ、その唇を吸った。
「ん・・・、もう!」
 啄ばむようなキスだったが、真っ赤になって睨むリナにキャラハンは目を細めた。
 頭の回転は良過ぎるほど良いのに、こういった初心な面がある。今まで慣れた女しか相手にしてこなかったのに、リナのこういった面が酷く愛しい。それが高じて彼女を抱けないでいるのだが。
 リナは肩を撫でるキャラハンの手をぺしりと叩き、TVのほうを見た。
 大統領は悲報を伝えていた。目元に疲れがにじみ、表情は悲しそうだったが、豊かなバリトンは朗々と響いていた。
 大統領は昨夜衝撃的な事件が起こったことを国民に伝えていた。
「なんだって・・・。」
 キャラハンが目を見張り、掠れた声で呟いた。
「ローゼンバーグが殺された・・・?」
 キャラハンは呆然と画面を見詰めた。
 リナは眉を顰めて大統領を観察した。
「このカーディガン、要チェックね。見事な演出だわ。」
 皮肉げな表情でリナはコーヒーをすすった。
 大統領の話はさらにジェンセン裁判官の事件に入った。
「真夜中に、モントローズ・シアターだと・・・。」
 キャラハンが唸った。
 リナは首を傾げた。
「それ、どこにあるの?」
「たしか、ゲイの集まる界隈に。」
「ジェンセンはゲイだったんだ。」
「噂は聞いたことがあったが・・・、本当だったんだな。」
 大統領が感動的な故人を褒め称える話を始めていたが、2人は既に聞いていなかった。
「容疑者はいない、か・・・。」
 キャラハンはコーヒーを啜った。
 リナは細い肩を竦めて見せた。
「あたしなら、20人は考え付くけど。」
「考えるだけならな。だが、どうしてあの2人なんだ?ローゼンバーグなら理由はすぐに分かる。だが、ジェンセンとは・・・。マグダウエルやヤウントの方が、ジェンセン以上にリベラルな姿勢をとっているのに。筋が通らない話だ。」
 キャラハンは唸って髪の毛をかきむしった。
「コーヒーのおかわりいる?」
 リナは自分の分を注ぎながら尋ねた。
 キャラハンは首を振った。
「いや、いい。目は覚めてる。ただ、今日は休講にする。そんな気分になれない。」
「いいけど・・・。」
「しかし、なんてことだ。こうなると、あの薄ら馬鹿の大統領が2人の裁判官候補者を指名することになるぞ。9人の裁判官の内、8人までが共和党の指名になってしまう。」
「就任には議会の承認が必要よ。」
「これから10年は憲法が認められない時代になるのか。畜生!」
「2人が殺された理由はそこにあるんだわ。何者かが現在と異なる構成の最高裁を望んだのね。来年は大統領選。民主党から大統領が選出される前に、最高裁を望む姿に変えたいんだわ。」
 リナは眉根を寄せて言葉を紡ぐ。
「でも、どうしてジェンセンなんだ?」
「あの男が恥知らずだからよ。手軽に狙える標的だったし。」
 確かに真夜中ゲイ通りを徘徊する趣味の持ち主を狙うのは簡単なことだろう。
「しかし、ジェンセンは偶に左傾化することがあっても、基本的に中道派だ。そもそも共和党の指名を受けた人物だった。」
 リナは額に細い指を当てゆっくり口を開いた。
「こう考えたらどう?・・・時期としてはまさに完璧。だって、裁判官の再選、候補者指名、政変、その他諸々今がいい。さらに、丁度最高裁へのデモや脅迫は過激になる一方だった。世間の目に付かないグループが敵対者を一掃しようとするには絶好の時期よね。」
「どこのグループだ?」
「それが分かれば苦労しないわよ。」
「アンダーグラウンドアーミー?」
「世間の目に付かないグループじゃないじゃない。テキサスで裁判官を爆死させたでしょ。」
「プラスチック爆弾だったか。ま、やつらを調べてみるんだな。」
「すぐには無理ね。」
 リナはリモコンをとり、TVのチャンネルを特に意図無く変えた。
 画面に金髪の男が映る。
「そのままにしてくれ。」
 キャラハンが言うので、リナはリモコンを置いて画面を見た。

 有名司会者と話し合っているのは、新聞記者だ。
 長い金髪をひとつにまとめ、均整の取れた身体にスーツを着込んでいる。ただ、黒縁の大きな眼鏡が野暮ったい印象を与えて仕方が無い。
 覗く鼻や唇の形なんかは整っているから、眼鏡とったら顔はいいんじゃないかしら。
 リナはそんなことを思いながら、温くなったコーヒーを口に運ぶ。
 司会者が新聞記者に問いかけた。
『ミスター・ガブリエフ。貴方はローゼンバーグ氏へのインタビューを暗殺の直前に行ったと聞きましたが・・・。』
 ガウリイ=ガブリエフは頷いた。
『ええ。オフレコもあったのですが・・・、彼にはもうどんな脅迫も届かないからいいでしょう。』
 黒縁の眼鏡から辛うじて覗く形のよい眉が悲しそうに歪んだが、すぐにガウリイを鋭い雰囲気が覆う。
『彼は言っていました。・・・中産中流階級の人々の意識を悪戯に煽っている、と。政権の座につくために。』
 司会者がきらりと目を輝かせて少し身を乗り出した。
『つまり、ホワイトハウスの策略、ということですか?』
『ローゼンバーグはそう考えていたようです。』
 ガウリイが頷く。

 キャラハンは満足そうにブラウン管の中の金髪の男を見た。
 リナがからかうようにキャラハンの顔を見上げた。
「贔屓にしてるわね。確かに、彼の書く記事はいいものが多いけど。」
 キャラハンは嬉しそうに頷いた。
「ああ、彼は骨のある男だ。筋の通ったものの見方をする。」
 キャラハンの友人を自慢するような口調にリナは微笑み、立ち上がった。
 傍らの温もりが離れて、キャラハンは寂しそうにリナを見詰めた。
「どこへ行く?一緒に飲みながら、ローゼンバーグの判決文をまとめた本を見ないか?」
 リナは首を振った。
「いいえ。あなたは講義を休講にできけど、あたしは学生なのよ。授業を休むわけにはいかないわ。」
「講義なんかサボれよ。じゃないと、僕の憲法学の単位はやれないぞ。ローゼンバーグを喪った悲しみが大きいんだ。傍にいてくれよ。」
 言いながらも、キャラハンはリナを引き止めることは出来ないことを承知していた。リナは恋人の懇願だからといって自分の意志を曲げるような女ではない。決して男に依存せず、常に自分のとる方向を自分で決める女だ。その潔い強さがどんな美女をも霞ませる輝きを生む。
 キャラハンの予想通り、リナはやはり首を振った。
「サボんないわよ。九時から連邦訴訟手続法の講義なんだもの。」
 あっさりと言ってから、リナは微笑んだ。
「いらっしゃいよ。朝ごはん、作ったげる。」
 リナの微笑みにあっさり懐柔され、キャラハンは大人しくリナの後をついてキッチンに向かった。


 リナはどこにいようとリナということで・・・。(2005 3/27)