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 電話のベルが4回鳴って、留守電に切り替わり、録音された声が応対し、発信音が鳴る。しかし、電話を掛けてきた人間はメッセージを吹き込まない。
 電話のベルがまた4回鳴って、留守電に切り替わり――――。
 いったい誰だよ!
 3回目に、ガウリイは受話器に手を伸ばした。
「どちらさまですか?」
 時計をちらりと見ると、5時40分。
 電話の相手の声は、低くおずおずとしていた。
〈あの・・・、ワシントン・ポスト紙のガウリイ=ガブリエフさんですか?〉
「ああ、で、そちらは?」
〈それは申し上げられません。〉
 ゆっくりとした返事に、ガウリイは腹筋の要領で半身を起こし、長い金髪を掻き揚げた。
「分かった。名前のことは忘れる。どんな用件で電話を?」
〈昨日、ホワイトハウスと指名候補者についてのあなたの記事を読ませてもらいました。〉
「そりゃ、どーも。・・・で、こんな時間に電話してきたわけは?」
〈申し訳ありません。今、仕事に向かう途中で公衆電話から掛けているんです。家やオフィスからは電話できないもので。〉
 話し方は丁寧で正確、知的な男のようである。
「オフィスとは、どんな?」
〈私は弁護士なんです。〉
「民間?それとも政府関係の?」
 男はためらった。
〈・・・それは言いたくありません。〉
「わかった。じゃあ、単刀直入にいこう、この電話の用件は?」
〈ローゼンバーグとジェンセンについてちょっとしたことを知っているんです。〉
「というと?」
 ガウリイの問いかけに、男はまたためらった。
〈・・・この電話、録音してるんですか?〉
「いや、したほうがいいのか?」
〈家、どうでしょう・・・?〉
 怯えた声。
〈ええと、次回からならいいかもしれない。すみません、頭が混乱してて・・・、ずっと恐かったんです。〉
「君の望みどおりにするよ。」
〈逆探知できるんですか?〉
「しようと思えば。しかし、公衆電話からなら気にすることもないだろう?」
〈そう、ですか・・・?ただ、心配で。〉
「録音もしないし、逆探知もしない。気になっていることを話してくれないか?」
〈どうやら、あの2人を殺した犯人を知っているような気がするんです。〉
 ガウリイは思わず立ち上がった。
「それは大きな情報だな。」
〈私は殺されるかもしれません。すでに尾行されてるんでしょうか・・・?〉
 少し間が空いた。
 男は後ろでも振り替えたのだろう。
「誰が尾行しているというんだ?」
〈分かりません・・・。〉
 ガウリイは極力優しい声を出した。
「落ち着けよ。名前ぐらい教えてくれてもいいんじゃないか?」
〈私は・・・ガルシアです。〉
「偽名だな。」
〈勿論ですよ。でも、もう精一杯で・・・。〉
「分かったよ。続きを教えてくれ。」
 ガルシアと名乗った男は一度、深呼吸をしたようだった。
〈確証を得たわけではありません。しかし、オフィスで見てはならないものを見てしまったように思うんです。〉
「そのコピーは手に入るか?」
〈たぶん、なんとか・・・。〉
 曖昧な口調にガウリイは溜息をつきたいのを堪えた。
「いいか、ガルシア。君から掛けてきたんだぞ?どうしたいんだ?」
〈自分でもよく分からないんです。でも、何か話したら、貴方はどうするんですか?〉
「徹底的に調べて裏をとる。最高裁裁判官を2人も殺した罪で誰かを告発するんだ。慎重に慎重を重ねて調査する。」
 ガルシアは黙り込んだ。
 ガウリイはじっと待っていた。
「ガルシア、大丈夫か?」
〈ええ・・・、あの、後で話ができますか?〉
「ああ、いまだって大丈夫だぞ。」
〈少し考えたいんです。事件が起きてからこの1週間、まともに食事も寝ることもできなかったから、頭が働かなくて。〉
「わかったよ。待つさ。仕事場に電話してくれてもいいし・・・。」
〈いえ、会社には電話しません。お休み中失礼しました。〉
 電話は切れた。
 ガウリイは少し考え込んだが、いくつかの番号を打ち込んだ。
 メモを取る。
 公衆電話は、ペンタゴン・シティの異名をとるアーリントンの15丁目通りのものだった。


 ギャビン・ヴァーヒークは爽快とはとても言えない目覚めを体験していた。
 1時間後、フーヴァー・ビル(FBI本部)につくころにはアルコールは抜け始めていたが、頭痛がひどい。
 ヴァーヒークは低くキャラハンを恨んだ。
 あいつはきっと昼間で寝ているに違いない。
 朝の眩しい光に顔を顰め、オフィスへと向かう。今日はガーヴ長官と11時頃に会談予定だ。それまでには、目を覚ましておかなければならない。
 オフィスで秘書に軽く睨まれたが、片手でいなし、デスクにぐったりと座り込む。
 恨みを込めて、キャラハンの泊まるホテルの部屋に電話したが応答はない。
ふぅう
 ヴァーヒークはがんがん痛む頭を抑えた。
 親友トーマスは自分と収入そのものはそう変わらない。だが、週30時間働くだけだし、20歳以上年下の彼女までいる。
 次に会うときは、絶対紹介してもらおう。
 ヴァーヒークはブリーフケースに手を伸ばし、例の摘要書の入った封筒を取り出した。
 中にはA4サイズのプリントアウトした紙が13ページ。周囲に余白もたっぷりとっているから読みやすそうではあった。手書きの注釈としるし入り。表紙にはリナ=インバースの住所と電話番号も印刷されていた。
 ヴァーヒークはドアに鍵をかけて、床に転がり腹ばいになってそれを読み出した。
 なかなか巧みな書き方だった。法律学者風の長い単語を並べた文章だったが、論旨は明晰だ。だが、煙に巻いたような言葉遣いは用いていないので、政府の弁護士ではやっていけなさそうである。
 リナがあげている容疑者を耳にした記憶はない。おそらく、誰の容疑者リストにも入っていない。厳密に言えば、これは摘要書というよりもルイジアナ州での訴訟のレポートのようなものだった。リナは事実だけを簡潔に表現し、興味深いレポートにしあげていた。
 ヴァーヒークはいつしか夢中になってそれを読んでいた。
 事実関係の叙述に始まり、両当事者の履歴、訴訟の要約、上告、最後に最高裁からローゼンバーグとジェンセンを抹殺する経過が書かれていた。
 キャラハンはリナはこの仮説を捨てたと言っていた。実際、レポートの最後の方でリナは熱意を失っているように見える。
 しかし、それでも―――――。
コンコン
 ドアがノックされた。
 ヴァーヒークは立ち上がり、髪を撫で付けてからドアを開いた。
 秘書が立っていた。
「お邪魔して申し訳ありません。長官が10分後に話し合いたいとのことです。」
「なんだって、10分後?」
 秘書が頷いた。
 ヴァーヒークは息を吸い込み、吐き出した。
「悪いが、口臭除去剤とアスピリンを持ってきてくれないか?」
「はい。」
 ヴァーヒークはデスクに戻り、米神を揉んだ。
 秘書がまもなく戻ってくる。
「ああ、すまないね。で、もうひとつ、そこの書類をラーシャートに届けてくれ。わたしからだとメモをつけてね。時間があれば目を通して欲しいと伝えてくれ。」
 秘書は書類を持って立ち去った。


 フィブリゾ=ヘルマススターは、大統領執務室でラルタークとラーシャートに静かに話しかけた。大統領本人はプエルトリコのハリケーンの被害状況の視察に行っている。ガーヴはフィブリゾと2人きりの面談を拒否し、副長官と特別捜査官をよこしたのである。
 フィブリゾは可愛らしい顔に笑みを浮かべながら、2人に椅子をすすめた。
 フィブリゾの上着にはきっちりボタンがかけられ、ネクタイは曲がってもいない。
 ラーシャートは目の前の一見ひ弱そうな男を眺めた。
 噂によると、フィブリゾは一日4時間しか睡眠をとらず、水以外は飲まず、コンピュータ並みの速さでものを読み、毎日数時間はメモ、報告書、往復文書、審議中法案に目を通しているとか。記憶力も完璧で、この1週間FBIは毎日報告書を上げているが、質問されるときの引用に一言一句のミスもなかった。虫の好かない男だが、その能力は認めるしかない。
 フィブリゾは満足していた。
 大統領はカメラの前でパフォーマンス中だが、国を動かす権力はこの場にあるのだ。
 ラルタークが報告書をテーブルの上においた。
「何か新しいことは?」
「出てきました。フランス警察がパリ空港の保安カメラが撮影したフィルムの中にある人物を見つけました。パリ警察はインターポールに通報しました。インターポールでは、変装を施しているものの、その人物がテロリストのカーメルだと確信しています。もちろん、この人物についてはお聞き及びかと・・・。」
「ああ、知っているよ。」
「インターポールがフィルムを徹底的に検証した結果、カーメルは先週の水曜日にダレス空港からの直行便でパリに到着したことが判明しました。ジェンセンの死体が発見されてから約10時間後です。」
「インターポールからCIAに連絡は?」
「ありました。担当者とゼロスが今日の1時に話し合いました。」
 フィブリゾは首を傾けるようにして問いかけた。
「どのくらい確信があるんだい?」
「8割がた、でしょうね。カーメルは変装の達人です。2年に一度は整形で顔を変えているとも聞きます。それに、カーメルがこんな手段で旅行するのは珍しいですから。」
「そんなに長時間カメラの前に立っていることはなかったんだろう?」
「ええ、しかし、インターポールはカーメルの詳細な情報を掴んでいます。写真と報告書を大統領にお見せ下さい。」
 フィブリゾはしばらく黙って考え込んだ。
「犯人がカーメルならどうなる?」
「今後、カーメルを捕まえる望みはなくなります。現在、9カ国がカーメルの行方を追っていますが。さらに、カーメルだとすると、何者かが大金を積んで彼を雇ったということになります。」
「もともとプロの仕業とは考えていた・・・、進展はないというこおtだな。」
「そうともいえます。」
「ふむ。で、それ以外には?」
 ラルタークはラーシャートの方へ視線を向けた。
「通常の捜査報告書があります。」
 ラーシャートは落ち着かなさそうに身じろぎした。彼の手には例の摘要書がある。この文書は今日一日かけて上層部へ回り、ついにはガーヴの目に留まった。
 ガーヴはこの文書を気に入ってしまった。ガーヴ自身はこの文書が事件とは無関係で価値のないものと思っているが、それでも、中に大統領に関する記述があるので、フィブリゾを驚かせてやりたいと考えたのである。
 ガーヴはラーシャートに、この文書をフィブリゾに見せた上でFBIがこれに関心を持っているように思わせろと命じた。話しているときのガーヴは久しぶりに楽しそうに笑っていた。
 ラーシャートは文書をフィブリゾに渡した。
「過去24時間の間に浮上した説で、長官も極めて強い関心を示しています。しかし、大統領に不利になるようなことも考えられるとして、長官は憂慮しております。」
 フィブリゾは不思議そうに首を傾げた。
「それで?」
 ラルタークが文書に目をやった。
「それに全て書いておりますよ。」
 フィブリゾはちらりと文書に目を落とし、すぐにラルタークを真っ直ぐに見詰めた。
 真っ直ぐな眼差しには後ろ暗いところなどないと主張するようだったが、今更ラルタークもラーシャートもそんなものに心を動かされない。
「これで話は終わりかい?」
「ええ、では、そろそろ失礼します。」
 2人は立ち上がった。
 フィブリゾは2人をドアまで見送った。

 午後10時をすぎた頃、大統領専用機が空港に着陸した。
 大統領は真っ直ぐにリムジンに乗り込み、ちょっと目を見開いた。
「おやおや、君が来てくれるとは思わなかったよ。」
 奥に座っていたフィブリゾが微笑んだ。
「驚かせたなら申し訳ありません。ぜひ、お耳に入れたいことがございまして。」
 大統領は顔を顰めた。
「もう遅いし、私は疲れている。」
 フィブリゾは大統領の言葉など聞かぬ気に口を開いた。
「ハリケーンはどうでした?」
「すさまじいものだった。百万戸ものバラックやあばらやが吹き飛ばされたんだ。20億ドルほどの緊急援助資金を出して、家と発電所は新築だな。」
「災害宣言のほうの準備は整っています。」
「ありがとう。で、緊急の話とは?」
 大統領は自分で聞きたくないと言ったはずだが、焦らされたせいか自ら尋ねてしまった。
 フィブリゾは大統領に例の文書を渡した。
「これは?」
「今は『ペリカン文書』と呼ばれています。」
 大統領はそれが10枚以上のものと見ると、嫌そうな顔をした。
「読みたい気分じゃないな。口で説明してくれないか?」
 フィブリゾは口を開いた。もともと、大統領がそんなに長い文を読もうとするとは思っていない。
「ガーヴとその部下が、これまで誰も言及したことのない容疑者をさぐりあててきました。全く目立たない、眉唾物の容疑者です。書いたのは、テューレーン大学ロースクールの学生です。それが、どういうわけかガーヴの手元へ運ばれ、やつは見込みありと考えたようです。忘れてはならないのは、ガーヴが容疑者をあげたいと必死だということです。この内容そのものは、とうてい信じるに値しませんし、その点では心配していません。しかし、ガーヴは・・・、彼はこの線を本気で追うつもりのようです。マスコミはかれの動向を気にしておりますから、情報が漏洩するかもしれません。」
 大統領は目をしばたいた。
「だが、あの男の捜査活動に横槍はいれられんよ。」
「誘導はできます。ゼロスがホワイトハウスで閣下をお待ちして・・・。」
「ゼロスだと!?」
 大統領が心底嫌そうな声を上げた。その不快感が恐怖に根ざすものだとは大統領自身は認めていない。
「落ち着いてください、ボス。3時間前に、私は自分でこの文書をゼロスに私、その場で機密保持を誓わせました。ガーヴよりは信頼できる男です。」
 そう言いながら、フィブリゾはゼロスのうさんくさい笑みを思い出していた。
 大統領は首を振った。
「私は、ガーヴもゼロスも信用できん。」
 大統領の言葉にフィブリゾは笑みを浮かべた。大統領には自分以外の誰も信用して欲しくない。
「ですが、とにかくCIAに調査を頼むべきです。ガーヴがつつきだす前に状況を完全に把握しておきたい。何もでてこないのは分かっていますが、それでもガーヴよりは事実を掴んでしまえば、あの男の追及をやめさせるように説得できます。」
 大統領は釈然としない様子で首を傾げた。
「国内問題だぞ。CIAが嗅ぎ回るような問題じゃない。それに違法行為かもしれないじゃないか。」
「厳密にいえば、違法行為です。しかし、ゼロスなら閣下の為だけに調査してくれます。」
「しかし、違法行為では・・・。」
「以前にも何度となくあったことです。」
 きっぱりと言い切られ、大統領は窓のほうに視線を彷徨わせた。それから、手元の書類に目を向け、それを空いている座席に放り投げた。
「名前があがっているのは、我々の知っている相手なのかね?」
 フィブリゾは頷いた。
「そうです。」


 頑張れ、ガウリイ!!まだまだリナには会えません・・・。(2005 4/9)