9
 昼をやはりデスクでとり、ガウリイは電話に出た。
「ワシントン・ポスト紙のガウリイ=ガブリエフだ。」
〈ガルシアです。〉
「ああ、待っていたよ。」
 約束通り昼にかけてきたガルシアに、ガウリイは優しい声を出した。
〈・・・まだ、決心がつかないんです。私は結婚していて・・・子どもも1人いるんです。すごく怖くて・・・。〉
「ああ。」
〈前途には高収入のキャリアが広がっているんです。責務を果たし、口さえ閉じていれば・・・、黙っていれば、けっこうな金持ちになれるはずなんです。〉
「そうだな。」
 ガウリイはゆっくりとした相槌を打った。
「でも、あんたは電話してきた。」
〈ええ、ええ!話してしまいたい・・・でも、怖いんです。〉
「ああ、そんな状況に置かれれば誰だってそうなるさ。」
〈怖いけれど・・・でも、話すべきことを私は知っている。話すべきだと・・・分かってはいるんです。〉
「ああ。」
〈でも、妻と子どももいる・・・。勇気が出ないんです。誰を信用したらいいのか・・・。〉
「ああ。」
 ガウリイは優しく話を聞いてやった。時間をかけて相手に喋らせる間に、頼んだ仕事ができるだろう。
 この男はいずれ全てを話す。
 そうガウリイは考えていた。
 電話を掛けてきたのも3回目である。徐々に話す時間は増えてきており、ガウリイに徐々に打ち解けてきている。
 まずは緊張を解いて信頼させ、誠意と尊敬をもって対応した後、倫理観の話をすれば、この手の連中は話し出す。
 ガウリイはガルシアの話を辛抱強く聞いていた。

 もうもうたる煙草の煙立ち込める薄暗いクラブ内で、ガウリイは受け取った封筒の中の写真を見ていた。
 仕事を頼んだのはクロフトという男、自称フリーのカメラマンであるが、内実は二流の探偵。仕事内容は、自分が被写体であることを知らない相手を撮影することだ。昔ワシントン・ポストで仕事をしていたがドラッグ関係の罪状で起訴されて会社をやめた。その頃から、ガウリイと付き合いがある。
 ガウリイは倫理を守る堅気の記者ではあるが、裏に手を回す必要があれば躊躇いなくそれを行い、隠そうともしない。そういうところが、裏稼業の者にも好かれる因となっている。
 写真はペンシルヴァニア・アベニューの公衆電話の近くで撮影された。
 被写体はガルシアである。
 写真を撮られたくなければ、別の公衆電話を使うべきだったのだ。
 ガウリイは写真を眺めた。
 ガルシアは30歳以下で、わりとハンサムで身だしなみのいい法律家らしい。黒髪に黒瞳、高価な服。
 ガウリイは店内にすばやく目を走らせた。
 サージはまだ来ない。
 ガウリイは写真に目を戻した。
 政府の法務関係職員は数万人いるが、身だしなみに気を使うものは滅多にいない。若く、服の趣味のよいガルシアは民間の弁護士だろう。事務所に入って3年目か4年目、年収8万ドルを越えたあたりではないだろうか。これで、とりあえず5万人まで範囲を絞れた。
 店のドアが開いて、ひとりの警官が入ってきた。このクラブは賭博も娼婦とも縁がないので誰もそれを見咎めない。
 ガウリイは少し眉を顰めて警官を見た。
「お前さんがこの店を選んだのか?」
「ああ。」
「おいおい。俺たちは人目を避けることを心がけてるよな?けど、白人の俺がこうやってても目立たないと言えるのかよ?」
 ガウリイが見たところ、店内に白人は一人としていなかった。
 ただし、警官が見たところ、ガウリイはいつものごとく存在感を押し殺して周囲に溶け込んでいるため、誰も彼に注意を払っていない。
 警官はにやりと笑った。
「こんなこと言っちゃ難だが。ガウリイ、あんたは自分が思ってるほど有名人じゃないんだ。バーにいる連中に試しに聞いてみろよ?賭けてもいい。あの中でワシントン・ポスト紙を読んだことがあったり、ガウリイ=ガブリエフの名前を知っていたり、ホワイトハウスに興味があったりする奴なんて一人もいないさ。ま、あんたがその似合わん眼鏡と帽子を外して派手な顔を見せれば、あんたの顔に食いつくヤツはいるかもしれんがね。」
 ガウリイは苦笑を浮かべ、黒縁の大きな眼鏡を少し上げた。
「わかったよ。で、サージは?」
「親父は体調を崩してる。で、伝言を預かってきた。」
 ガウリイは顔を顰めた。
 サージなら情報提供者として使えるが、サージの息子ではだめなのだ。
「体調が悪いっていうのは?」
「年寄りなんでな。多めに見てくれ。今は話をしたくないようだ。ただ、緊急の用件があるらしい。」
 ガウリイは警官をじっと見詰めた。
「車に封筒がおいてある。しっかり封をしてあるやつだ。えらく真剣な顔つきで絶対あけるなって言った。とにかく、持ってけってな。」
「行こう。」
 2人はクラブを出る。
 違法駐車してあるパトカーのダッシュボードから警官は封筒を取り出した。
「西翼棟で手に入れたと言っていたぞ。」
 ガウリイは頷いて、封筒をポケットに突っ込んだ。
 サージは何かを盗むような人物ではないし、文書を捏造するような人物でもない。
「ありがとう。」
「サージは中身を一切教えてくれなかった。じっと待って紙面に載るのを待てと。」
「サージに、恩に着ると伝えてくれ。」
「ああ、それを聞いたらサージは喜ぶだろう。」
 パトカーが走り去り、ガウリイは自分のヴォルヴォに戻った。
 ドアをロックしてから、車内灯をつけ、封を切った。中身はホワイトハウスの内部メモで、カーメルという暗殺者について書かれていた。
 ガウリイは急いで車を発進させた。
 急げば、市内最新ニュース版に掲載できる。今は7時半。印刷は10時半からだ。
 ガウリイは車内電話を持った。
「ミスガズィアさん?カーメルっていう暗殺者の情報が手に入りました!超特ダネですよ。今から会社に戻ります。」
 調査記事担当の編集副主幹のミルガズィアは間に合うなら載せると言ってくれた。
 ガウリイはさらに外報部の友人に電話を掛け、カーメルについての情報を引き出しておいてもらう。
 会社に辿り着いたガウリイはミルガズィアと2人で記事を書き上げた。
 カーメルだと言われている2枚の写真(一見別人に見える)も手に入れた。
 ガウリイは、記事の中で、カーメルがローマ教皇の事件とイギリスの外交官、イスラエル兵士の奇襲に関わっていることに言及した。さらに、ホワイトハウス内部の匿名の消息筋によれば、ローゼンバーグとジェンセンの殺人犯人として、カーメルの名前が浮上していることも加えた。


 リナはマリオネット・ホテルの15階で、ベッドに突っ伏していた。
 疲れてはいるが、とにかく自分はまだ生きている。
 リナはシーツを握り締めた。
 日中、シェラトン・ホテルにいた男に会うことはなかったが、あちこち歩くうち、全ての顔が同じものに見えてきた。
 あの男は町にいて、その仲間も町にいるのだろう。
 リナは自分の車には近づかなかったし、レンタカーを借りる気もなかった。レンタカーは記録が残ってしまう。おそらく連中はそれを見張っているに違いない。飛行機で高飛びも考えたのだが、空港も監視されているだろう。
 リナが姿を隠していることに気づけば、連中は彼女が逃げると考えるはずだ。素人の小娘、愛する男を目の前で失って悲嘆に暮れている。そんな女が我を失って町から逃げ出そうとするところを捕まえるつもりだろう。
 隠れるには都会が好都合だ。
 路地や酒場やバーがあり、何万ものホテルの部屋があり、ストリートには人が溢れている。特にこのフレンチ・クォーターについては、生活に必要なものがそろうからよく知っている。とにかく日中は表の往来に出ないで、移動し続け、十分睡眠をとるくらいしかできないだろう。常に周囲に気を配り、頭を働かせなければならない。
 警察に電話することも考えたが、やめた。
 名前を聞かれて記録をとられてしまうし、逆に危険を招くかもしれない。キャラハンの家族にも今は連絡をとることはできない。
 姉ちゃんはどこいるのか分からないし。
 今こそ恐ろしいが有能な姉の力が欲しかった。彼女なら暗殺者も権力者もどうにかしてくれるだろう。
 自分でどうにかできることについて甘えれば容赦なく制裁を加えられるだろうが・・・、いや、甘えれば何らかの報いを・・・。
 リナは青ざめて首をふるふると振った。
 とにかく、彼女は今海外に行っていて、いつものことながら行方が掴めないからあてにできない。
 自分でどうにかするしかないのだ。
 何ができるか、何が必要か、よく考えなければ。
 リナはとりあえず、ルームサービスを注文し、腹ごしらえをすることにした。


 そう珍しくもないが、リムジンがキャナル・ストリートのシェラトン・ホテルの前で停車した。
 左右両側のドアがさっと開き、まず肩口で直線的に切りそろえられた黒髪のニコ目の男が車を降りた。その後ろを3人ほどのバッグとブリーフケースをもった男たちがあたふたと追う。
 時刻はもうすぐ午前2時だというのに、CIA長官はひどく急いでいるようだった。フロントに立ち寄りもせず、エレベーターに真っ直ぐに向かう。容赦なく閉じようとする扉を慌てて部下が抑え、4人で6階まであがった。
 角部屋では3人の捜査官が待っていた。
 ゼロスはにっこりと笑った。
「こんばんは。」
 部下たちは寒気を感じたかのように震え、引きつりかけた顔で目礼する。
「あのお嬢さんはどちらに?」
 銀髪の捜査官がカーテンを開いたので、ゼロスはそちらに歩み寄った。
 銀髪の捜査官は道の反対側の1ブロック先にあるマリオネット・ホテルを指差した。
「15階の道路から3番目の部屋です。まだ明かりのついてある部屋、あれです。」
 ゼロスは感情を伺わせないニコ目でホテルを見詰めた。
「たしかですか?」
「はい、チェックインして、代金をクレジットカードで支払う現場を視認しました。」
「あわれな娘さんですねぇ・・・。」
 しみじみと呟き、ゼロスは窓から離れた。
「昨夜はどこに泊まっていたんですか?」
「ロイヤル・ストリートのホリデイインです。そちらでもクレジットカードをつかっていました。」
「誰か、お嬢さんを尾行している人物には気づきましたか?」
「いいえ。」
 ふぅん、とゼロスは少しつまらなさそうに頷いた。
「水が欲しいですねぇ・・・。」
「はっ、ただいま!!」
 あたふたと捜査官がコップにミネラルウォーターを入れてゼロスに捧げた。
 ゼロスは水をこくりと飲むと、一番年かさの捜査官のほうを向いた。
「貴方はどう思いますか?」
「やつらはあの娘を追っています。見つからないような場所から監視しているのでしょう。48時間以内には殺されるでしょうね。」
 銀髪の捜査官が口を挟んだ。
「けれど、まったくの馬鹿じゃあないようです。あちこち、常に移動し続けているし、髪も隠しています。ただちにこの町を離れる気はないのでしょう。発見されるまで72時間はあるのではないかと、わたしは考えます。」
 ゼロスは小首を傾げて見せた。
「ということは、彼女の書いた薄っぺらな文書がまさに急所を直撃しちゃったということですね。さらに、我々の友人が今や死に物狂いになっているということでもあります。あの男はどこにいるんですか?」
「分かりません・・・。」
 一番若い捜査官が若者らしく悔しげに眉を顰めた。
「もう3週間も消息不明です。」
 ゼロスは一番年かさの捜査官のほうをまた向いた。
「貴方の考えは?」
「娘の身柄をこちらで預かるべきでしょうか?」
 捜査官が逆に聞き返してきた。
「たやすくはないでしょう。銃を持っているかもしれませんし。」
 銀髪の捜査官の言葉に若い捜査官が反応した。
「怯えた小娘相手ですよ?ただの民間人、組織のメンバーではありません。」
 ゼロスが小さく笑った。
「我々としては、好き勝手に民間人を歩道からさらってくるわけにはいきませんけどねぇ。」
「そうすると、彼女の命は長くはないでしょうね。」
 銀髪の言葉に、ゼロスは首を傾げた。
「どうやって連れてくるつもりですか?」
「方法はいくつかあります。往来で捕まえる。あるいは、ホテルの部屋に押し入る。今なら10分で部屋に入れます。それほど難しいことではないでしょう。彼女はプロではありませんし。」
 ゼロスは目を伏せて聞いていたが、ゆっくりと立ち上がった。
 常に笑顔であるのに、やたらと凶悪なプレッシャーを放つ上司の姿を捜査員たちは目で追った。
 ゼロスは部屋の中央で、やはりにっこりと笑った。
「連れ来る案はどーも気がすすみません。」
 だって、彼女を泳がせておいたほうが、エサに釣られて色んな方がでてきそうですもんねぇ。連れ去る際、抵抗されて騒ぎになれば厄介ですし。彼女の安全には目を瞑ってもらいましょう。
「明日6時半、もう一度集まりましょう。貴方たちの案に納得すれば、そう命令します。」
 ゼロスの言葉に、捜査員は全員素直に頷いたが、ただ銀髪の男だけは苦い表情をした。彼はゼロスの胸の内をなんとなく悟っていたのだ。だからといって、何ができるわけでもないが・・・。
 ゼロスはにこにこと自分用にとった部屋へと移動する。
「面白くなってきましたね・・・。」
 呟いたゼロスの言葉につき従う3人の捜査官の背筋に冷たいものが流れた。


 ゼロスったら・・・。ゼルも困ってます。(2005 4/21)