10
リリリリリ・・・
 電話のベルが鳴っている。
 モーニングコールを頼んだ覚えはない。
 リナは目をぱっちりと開けた。
リリリリリ・・・
 20回目のベルで切れる。
 リナがここに泊まっていることを知っているのは、フロント係りとその上司、それにルームサービス係りくらいのはずだ。
「間違い、よね・・・?」
 リナは半身を起こし、電話を見詰めた。
 しばらく息を潜める。
リリリリリ・・・
 再び鳴り出した電話にリナは身体を強張らせた。
リリリリリ・・・
 息を大きく吸って、吐き出す。
「もしもし?」
〈リナ?ギャビン=ヴァーヒークだ。〉
ふぅ
 リナは大きく息を吐き出した。
「どうしてここが?」
〈蛇の道は蛇ってね。〉
「・・・クレジット・カード、ね。」
 リナは顔が強張るのを感じた。
〈ああ、書類に残った手がかりを追った。ここはFBIだ。いくらでも手はある。手間の掛かる仕事じゃなかったよ。〉
「ということは、連中にも同じことができるのね。」
〈だろうな。安宿に泊まって、現金で支払うことだ。〉
 リナはベッドに腰掛け、唇を噛み締めた。
 なるほどね。足跡たぐられて、死んでてもおかしくなかったんだ。
〈リナ、聞こえてるかい?〉
「ええ。」
 リナはドアのチェーンが掛かっているのを目で確認しながら頷いた。
〈いくつか情報を掴んだ。大学葬が明日午後三時からキャンパスで行われる。埋葬式はそのあと、市内で。キャラハンの家族とも話した。僕は棺を担ぎにいく。今夜にはそっちに行ける。どこかで会わないか?〉
「なぜ?」
〈リナ、僕を信用してくれ。今、君は危険だ。僕と話す必要が・・・。〉
「貴方たちの組織はどうするのよ?」
 リナはヴァーヒークの話を遮った。
「長官はどう言ってるの?」
〈長官とはまだ話してない。〉
「貴方は法律顧問でしょ?どうして?」
〈目下のところ、我々は何の行動も起こしていない。〉
 リナは目を見開いた。
「どういうことよ?」
 声が自然と低くなる。
〈これ以上、電話で話せない。〉
「切るわよ?」
〈リナ!僕を信用してくれ!!〉
 リナは受話器を握り締めた。
「だって、貴方たちは私の居場所を割り出したわ。連中が廊下にいるかもしれない。」
〈頭を使えよ。1時間前には君の居場所を割り出しているのに電話を掛けるしかしてないだろう?〉
 リナは息を吐いた。我ながら動転していたようである。
 居場所が割れているなら、ルームサービスのときに部屋に押し入ってこられてもおかしくなかったのだ。
「教えて?長官に話してないんでしょ?そして、FBIは何の行動もとっていない。どうして?」
〈分からない。長官は昨日、ペリカン文書に手出しをするなと通達を出した。〉
「長官はトーマスの事件を知っているの?あたしが殺されかけたことを知っているの?」
〈そうは思わない。〉
「知らないのね・・・。じゃ、貴方はトーマスが殺された原因はペリカン文書だと思う?」
〈可能性はある。〉
 法律家の『可能性がある』は肯定と同じだ。
「トーマスを殺した犯人が分かるとすれば、ローゼンバーグとジェンセンを殺した犯人も判明したということが言えるわね。違う?」
〈・・・・・・・可能性は、あるな。〉
「可能性が極めて高いと認めるのね。でも、FBIはあたしの名指しした容疑者から手を引くの?」
〈リナ、落ち着いてくれ。今夜会ってその話を―――――。〉
 リナは受話器を枕の下に押し込んだ。
 シャワーを浴び、歯を磨き、新しいトレーナーに身を包む。
 帽子の中に髪をいれ、サングラスもかける。
 とりあえず、もうここにはいない方がいいだろう。
 そっと廊下に出てみると、そこは無人だった。
 リナは女子トイレに入ると、人がざわめき出す時間まで待った。
 街中のコーヒーショップで、ホットドックとコーヒーを買い、電話の近くに席を取る。
 電話をすると、すぐにヴァーヒークが出てきた。
〈リナ?〉
「今日はどこに泊まるの?」
〈ヒルトンだ。〉
「今夜遅くか、明日の朝早くに電話する。カードはもう使わない。あたしの足取りを追わないで。」
〈とにかく移動し続けることが大事だよ。そうそう、ワシントン・ポスト紙は手に入るかい?〉
「たぶんね。どうして?」
〈急いで買ってみたまえ。今日の朝刊に、あの2人の事件とその犯人とおぼしき人物についての記事が載っている。〉
「分かった。また電話するわ。」
 リナはホットドックを二口ほどで食べると、店を後にした。
 いくつものストリートを通り、マーケットを通り過ぎ、曲がり角では曲がる。
 周囲に気を配って歩いていたが、不審な人影は発見できなかった。もし、尾行者がいるなら、相当巧みな者なのだろう。
 リナは無人販売所でポスト紙とポスト‐ピカユーン紙を買って、カフェに入った。
 人気のない片隅のテーブルで紙面を見る。
 第一面に、匿名情報源からの情報とうたった記事が載っていた。カーメルという暗殺者の伝説と、今回の事件に浮上したこと。カーメルが昔は信念のためだったかもしれないが、今は金のために働いているということ。2枚の別人に見える写真と、ここ10年写真を撮られていないということ。
 リナはやっと来た店員にコーヒーとエッグサンドを注文した。
 地方紙をめくると、二面にキャラハンの記事が載っていた。殺人事件として捜査中だが、進展なし。爆発の直前に、現場近くで白人の女性の姿が目撃されたこと。ロースクールはショックを受けていること。学長の話。
 リナは運ばれたコーヒーを飲んで、涙も飲み込んだ。
 紙面にはキャラハンの写真も載っていた。髭を綺麗にそって、得意げな笑顔の彼は男前に見えた。


 ガウリイの書いたカーメルの記事はワシントンを直撃した。
 大統領はガーヴを非難し、ガーヴは情報をフィブリゾが漏らしたに違いないと反撃した。
 大統領とガーヴはしばらくお互いに罪をかぶせようとしていたが、結局、ガウリイ=ガブリエフの素行調査をすることで話がまとまった。
 ラーシャートが長官の顔色を伺いながら問いかけた
「素行調査といっても色々ありますが・・・。」
「市街地での尾行だけでいい。スタッフ2名を配属して、24時間体制で監視させろ。夜間の立ち回り先や、どんな相手と寝ているのかを確かめるんだ。この記者は確か独身だったな?」
「はい。」
「尾行は私服で行い、絶対気づかれないようにするんだ。3日単位で担当を交替させろ。」
 ラルタークが首を傾げた。
「大統領は我々が漏洩源と本気で考えているのですか?」
「んなわけねぇだろ。そう思ってんなら、我々に記者の素行調査をさせるわけがない。自分のお膝元から情報が漏れたことには勘付いて、その犯人を捕まえたがってるんだ。」
「ちょっとした恩恵を施してやれますな。」
 ラルタークがにやりと笑った。
「ああ。絶対に尾行に勘付かれないようにしろよ。分かったな。」
 ガーヴは野太い笑みを浮かべた。

 フィブリゾはジョージタウンの崩れかけた小さなビルの3階を目指していた。エレベーターの前で顔見知りのガードマンが黙って道をあける。
 フィブリゾは奥まった部屋を目指した。そこにはバーと呼ばれる男がいるはずである。
 バーは、『部局』の責任者だ。『部局』は大統領再選委員会に属する非公式且つ極秘且つ少人数の下部組織である。バーは元海兵隊員であり、元CIA工作員であり、元スパイだった。有価証券詐欺で重罪判決を受けていたが、そのとき数百万ドルを稼いでいる。そして、刑務所に入って数ヵ月後、刑期をまっとうすることなくフィブリゾに拾われた。『部局』の予算は全て現金で支払われる。バーが監督しているのは高度な訓練を受けた殺し屋集団で、彼らがこの『部局』の仕事を極秘裏にこなしていた。
 バーが内側から鍵を開け、フィブリゾを招き入れた。
「話の予想はつくぞ。漏洩源を突き止めてほしいんだろう?」
 バーが口火を切った。
「ある意味ではそうだよ。お前には、このガウリイという記者を尾行して欲しい。24時間体制で誰と話しているのか突き止めろ。この記者は極めて良質の情報を入手してる。その出所が、僕たちのところみたいなんだ。」
「段ボール箱なみの漏れ方だよな。」
 フィブリゾは肩を軽く竦めた。
「ま、どこにだって問題はあるさ。カーメルの件はこちらの策略の一環だし。あれは僕が漏らしたんだ。」
 バーはにやりと笑った。
「だと思った。できすぎてたからな。」
「偶然にでもカーメロに会ったことはあるのかい?」
「ない。10年前に間違いなく死んだと思ったんだが、偽装だったんだな。ヤツにはエゴがないのさ。だから、捕まらない。暗殺の機会をうかがって半年間サンパウロで木の根と鼠を食って生き延び、ローマに飛んで外交官殺してから、数ヶ月シンガポールに身を潜めるようなヤツだ。」
「年齢は?」
「なぜ、あいつに興味を持つ?」
 バーの質問に、フィブリゾは薄く笑った。
「関心があるんだ。カーメルを雇ってローゼンバーグとジェンセンを殺させた人物に心当たりがあるような気がするんでね。」
「すごいな。ちょっとでいいから教えてくれよ。」
 バーが目を見開いた。
「まだ教えられないよ。」
「カーメルは40歳から45歳のぐらい。15歳のときにレバノンの将軍を暗殺。かなりの経歴があってどれも伝説なみだ。左右どちらの手足でも人を殺せるし、車のキーだろうと暗殺の道具にできるとか。あらゆる武器の達人だという。12ヶ国語を自在に話せるらしい。ま、その辺は聞いたことがあるだろう?」
「まあね。でも、楽しく聞くさ。」
「了解。カーメルは現在その技量でも料金でも世界最高の暗殺者と定評がある。若い頃はいちテロリストにすぎなかったが、才能があったから雇われ暗殺者になった。今は金のためだけに殺しをやってる。」
「料金はいくらぐらいなんだ?」
「俺の見当じゃ、1つの仕事につき、1千万から2千万ドルの報酬をもらってるはずだ。このランクの暗殺者はあとはズーマくらいかね。報酬は他のテロ組織と分け合ってるという噂もあるな。どうなんだ?まさか、カーメルを見つけて生きたまま連れて来いってんじゃないよな?」
 くすくすとフィブリゾは笑った。
「手出ししなくていいよ。あいつがアメリカでやった仕事は気に入ってるんだ。」
「すごい才能さ。」
「お前にやってほしいのは、ガウリイ=ガブリエフを尾行して、あいつが誰と話してるのか確かめることだよ。」
「見当はついてるのか?」
「2人いるね。1人はホワイトハウスの清掃スタッフでミルトン=マンディ、通称サージという目が見えないといわれてる男だ。あいつをホワイトハウスから追い出す計画を立てるんだ。」
「大金投じて、目の見えない黒人を追い出すわけか。」
「いわれたとおりにしろ。期限は3週間だ。」
 フィブリゾはテーブルの上に封筒を投げ出した。
 ドアに向かうフィブリゾにバーは声を掛けた。
「カーメルを雇ったやつを知ってるんだな?」
「あと一歩というとこかな。」
「『部局』は喜んで手伝う。」
「あてにしてるよ。」
 フィブリゾはにっこりと笑って部屋を後にした。


 アメリア=セイルーンは短い黒髪を揺らしながら、周囲に油断なく気を配って歩いていた。愛らしいその顔には緊張の色が見え隠れする。
 周囲は明日開催される大学のフット・ボールの試合で沸いていて非常に混雑していた。荒くれ男たちが集団で町に繰り出しており、騒いでいる。
 アメリアはあるバーに入り、薄暗い店内でキョロキョロと周囲を見回した。
 ウェイターが彼女に近づいてきた。
「女性のお客さんをお探しですか?」
「ええ。」
「あちらの右側最初の部屋ですよ。」
「ありがとう。」
 アメリアは礼を言って、そちらに近づいていく。
 小さな個室に小さな姿が見えた。帽子を被っているけれど、自分が彼女を見間違えるわけがない。
 アメリアはリナの手を握り締めた。
「会えてよかった。」
 うるうるとし出した瞳に、苦笑を浮かべるリナが映される。
「他に誰に電話したらいいか分からなくて。」
 疲れの見える顔でそれでも紅い瞳を燃え上がらせたリナに、アメリアは感動した。
 ああ、やっぱりリナは強い。
「他の人に電話するなんて、世間が許しても私の正義が許さないわよ。」
「許す許さないの問題じゃないでしょ。」
 リナの顔に笑みが浮かび、アメリアは任務達成の喜びを噛み締めた。
 小柄で華奢だけれど、常に前を向き続けるリナはアメリアの大事な友人であり、憧れでもあった。からかうと面白いという特典までついている。
「どうして、こんな?」
 アメリアは真剣な顔でリナを見詰めた。
「誰かがあたしを殺そうとしてるからよ。」
「なっ・・・・むぐぅっ!?」
 大声を上げようとしたアメリアの口を予想していたリナがすかさず塞いだ。
「大声あげないで。注目あびたらマズイのよ。でないとどうなるか・・・。」
 低い声音に本気の色を感じ、アメリアは必死に頷いた。
 リナの手が離れ、アメリアは大きく深呼吸を繰り返した。
「ひどいわ。窒息死するとこよ。」
 アメリアのジト目にリナは一向にひるまない。
「骨拾う余裕ないかも。でも、あんた口塞がれたぐらいじゃ死なないでしょ。」
「鼻も一緒に塞いでたじゃない・・・。」
「細かいことは気にしない!」
 ぱたぱたとリナは手を振り、それから真顔に戻った。
「で、アメリア。フロッピーはどうなってた?」
 アメリアも真顔に戻る。
「一枚残らずなくなってたわ。使い捨てファイルは全部あったけど、中身は空っぽ。ナイトスタンドの電球はゆるめてあったわ。他は異常なし。」
「お隣さんはなんて?」
「何も見てないって。」
 リナは黙り込んだ。
 アメリアはその姿をじっと見守る。
 しばらくしてリナが顔を上げた。
「アメリア、あんた、あたしと一緒にいるとこを見られないほうがいいわ。まずい気がするの。」
「どんな連中相手なの?」
「知らないわ。けど、やつらがトーマスを殺し、あたしを殺そうとしてる。」
「どうして・・・?」
 潤んだ真剣なアメリアの瞳には、真摯にリナを心配している色が浮かんでいた。それを有難く思いながらも、リナは首を振った。
「分からない。知ってても言えない。言ったらあんたも危ないわ。」
 アメリアは目を見開いた。リナがこんな顔をするときは、絶対喋ってくれないことを知っている。しかし、キャラハンとリナの関係を知っていたのは自分くらいのはずだ。自分にだけは隠し事をしないで欲しいと思う。
「リナ、あなたが心配なのよ。助けにはなれないの?わたし、何だって怖くないわよ。」
「あたしは、怖いわ。」
 静かな声にアメリアははっとする。
「あのとき・・・トーマスが死んだ現場にあたしはいたの。」
「警察は?」
「行って大丈夫か分からない。トーマスはFBIに話して死んだわ。」
「FBIに追われてるの?」
「たぶん違う。ある話が広まって、誰かがそれを真剣に受け止め、やがて誰かの耳にそれが入ってしまったんでしょうね。」
「リナ、話してちょうだい?わたし、あなたの親友でしょう?隠し事をするなんて正義じゃないわ。」
 アメリアの物言いはリナの態度を和らげようとするためのものだった。
 リナは彼女の意図を察して微笑んだ。
「ありがと、アメリア。けど、駄目よ。あんたをこれ以上巻き込めない。」
 アメリアは俯いた。
 リナは本気だ。本気で自分を巻き込まないようにしようと考えている。
 怖がっているのは、無論自分の危機のこともあるだろうが、それ以上にアメリアに危害が及ぶことを恐れている。それが分かる。
 アメリアはばっと顔を上げた。
「分かった。聞かない。だけど、少しでも手伝えることはない?何でもいい。あなたの力になりたいのよ。」
 紅い瞳が見張られ、苦しそうに歪められた。
 巻き込みたくないんだわ。
 アメリアには分かっていたが、ここで退くわけにはいかなかった。リナには少しでも味方が必要だと思うのだ。
 リナはテーブルの上で両手を握り締めた。
「なら・・・、頼んでもいいかな。」
「ええ。」
「明日の葬儀に出席してくれる?そして、全てを見てきて。あたしは行けないから。そして、あたしがデンヴァーの伯母の家に行ってるって噂を立ててちょうだい。」
「わかったわ。まかせて!確実に噂がたつようにするから。」
 ぐっと拳を握っての言葉に、リナが笑った。
「頼んだわ。じゃあ、これからのことを言うわね?裏口から出て、路地を抜けたらロイヤル・ストリートに出るわ。そこからタクシーを捕まえてから車に戻って。後ろを絶対振り返らないでよ。」
「分かったわ。」
 指示の用心深さにアメリアは驚いたが、リナは自分をからかうために本気になることもあっても時と場合を弁えていることは分かっていたので、素直に頷いた。
「無事でいてね。リナ。」
「当たり前でしょ。」
 いつもの強気な表情を浮かべるリナにアメリアは泣きそうになったが、頷いて裏口へと向かった。


 ガウリイも大変です。(2005 4/21)