12
 ヴォルヴォは所有者の自宅から1ブロック離れた駐車場に駐車されていた。
 彼らは駐車場のロックされたゲートをやすやすと潜り抜けた。防犯装置のない車の運転席のドアを数秒で開ける。
 時刻は午前四時。見張りに一人立っているが、誰かが来る気配は全くない。
 自動車電話に盗聴器を仕掛け、ガソリンタンクの裏側に発信機をつけた。発信機は電池式で6日間は新語を送り続けるはずだ。
 2人が駐車場にいたのはせいぜい5分。この後、ガウリイがワシントン・ポスト紙の本社ビルに出勤する姿を確認したら、ガウリイのアパートメントに侵入して電話に細工する予定である。


 
 リナ=インバースがホテルの裏口から出てきたのを確認した男は、距離を十分において彼女の後を尾ける。
 彼女を尾行するのも4日目ともなると、彼女を人目で見つけられるようになった。
 髪は隠れているが、大抵は少年のような服装で包んでいる華奢な体型と153cm程度の身長に、歩き方の癖などは変わらないのだ。
 リナ=インバースはなかなか用心していて、角という角で曲がり、1ブロック毎に歩く通りを変えている。早足だが、速すぎるようなこともない。
 方向から考えると、行き先はジャクスン・スクエアだろうか。あそこなら日曜日は混雑しているから人ごみに紛れて、食べ物や新聞を買えると考えているのではないだろうか。
 銀髪を帽子で隠したゼルは眉を少し顰めた。
 リナ=インバースはこの逃亡生活の間に少し痩せたのではないだろうか。ただ、紅い印象的な瞳だけは強い色を宿していて、戦意を失っていないことは見て取れる。その意思の強さに賞賛を送り、同時にゼロス長官を心中で罵った。
 どんな手段を使ってでも保護してやればいいものを、自身の気まぐれから彼女を危険の中に放り込んでいる。
 一介の捜査員として長官に逆らうことはできない。しかし、ゼルは可能な限りは彼女を護るつもりでいた。

 リナは周囲に気を配りながら歩いていた。
 一定の歩調を保ちながら、ジャクスン・スクエアを目指す。
 角を曲がったとき、その男はリナの目に飛び込んできた。
 男は込み合ったオープン・カフェに座っていた。
 思わず、リナはほんの一瞬震えた。
 男はリナに気づいた。訝しそうな表情で、リナを見返す。
 リナはなんでもないフリをして、そのまま歩き出した。
 大学葬で見た男、痩せ型の男の仲間のがっちりした体格の男だった。
 走り出しこそしないものの、リナは速度を緩めることができなかった。
 あの男はリナに気づいただろうか。
 赤信号に変わる直前の横断歩道を渡り、さらに進む。
 振り返ると、男は道の反対側で追ってきていた。
 ますます歩を早め、バーボン・ストリートを目指す。地元フットボール・チームセインツの試合があるから、祭り気分の若者で賑わっているはずだ。
 人目があり、混雑した場所でいきなり殺そうとはしないに違いない。
 そのときが、狙い目。
 リナの表情には確かに怯えも宿っていた。だが、それよりも強く紅い瞳に煌くのは戦意だ。
 いつまでも逃げっぱなしなんて、リナ=インバースにはありえないのよ。
 もう一度振り返ると、男は走り出していた。
 リナもとうとう走り出す。
 バーボン・ストリートは若者で賑わっていた。
 試合終了後に祝杯を挙げられそうにないため、あえて試合前から酒を飲んで騒ぐ若者たちが山のようにいた。
 小柄で俊敏なことが人ごみでは有利とはいえ、所詮女の足では敵わない。リナと男の距離はどんどん短くなっていった。
 いい加減、しんどい!!
 リナは速度を徐々に落としていった。
 がっちり男の気配がどんどん近づいてくる。
 リナの身体が急に沈んだ。
 傍目にはリナが走るのに耐えられなくなり、崩れ落ちようとしているように見えたかもしれない。
 リナは止まると同時に、膝を曲げて勢いを溜め込み、その膝を伸ばすと同時に肘を打ち込む。
めりっ
 今にもリナの肩を掴もうとしていた男の鳩尾にカウンターで勢いのついた肘がめり込んだ。
「ぐぉっ!?」
 内臓にねじ込むような一撃をくらい、よろける。
「ハァッ!!」
 気合と共にリナの脚が勢いよくあがった。
がっ!!!!!
 跳ね上がって繰り出された蹴りは見事に男の顎を捉え、脳震盪を起こした男は、勢いよくセインツ・ファンが飲んでいる野外席に倒れこんだ。
どんがらぐわしゃぁああん!!
「ぐぅぉおおお!!!」
「何しやがる!!」
「てめー、人が試合見てるってときによおっ。」
「いい度胸してんじゃねぇか!!」
「あっ、点入れられちまった。」
「てめーが乱入するからだ!!」
「やっちまぇええ!!」
 熱くなったファンたちはやはり負けようとしているゲームの責任をがっちり男に求めた。
 がっちり男は、リナにもらった強烈な攻撃にも何とか耐え、顎と鳩尾をさすりながら、いきりたつファンたちを睨んだ。
 小娘に攻撃され、倒れた自分が信じられなかった。
 無論、プロである男は目の前の血気盛んなだけの若者に負けることはないはずであった。
 男は最初に襲ってきた若者の攻撃を軽くかわし、その喉に一撃を加えて失神させた。
 そこまではよかったのだが、失神した若者は男の足元に倒れてきた。
 長身筋肉質の倒れた体が男の足の自由を奪う。
「このやろぉおおお!!」
 仲間が倒され、怒れる若者の蹴りが男の急所を直撃した。
「○×△□☆〜!?」
 声にならない悲鳴を上げ、堪らずそこを庇う様にしゃがんだがっちり男に容赦ない攻撃が加えられた。
どすっ
がすっ
ばきっ
 なかなか鈍い音の連続にリナはにやりと笑みを浮かべ、身を翻した。
 酔っ払いのテーブルに倒れるようにしたまでは計算だったが、予想外に酔っ払いが奮闘してくれた。
 さすがリナちゃん!!天才!!作戦勝ちね!!
 自画絶賛しながら、リナは早足でその場を立ち去り、適当なバーに入って人ごみに紛れた。
 バーのカウンターで、リナは自分の肩を抱きしめた。
 今日は逃げ切れた。しかし、間違いなく連中はリナを狙っている。
 いつまで・・・?
 リナは唇を噛み締めた。


 セインツ対レッドスキンズの試合も第4クォーターに差し掛かるころ、スネラーは隣室のカーメルに電話を掛けた。
「俺の英語を聞いて、少しでもおかしなイントネーションをしたら、教えてくれ。」
 カーメルは開口一番にそう言ってきた。
「分かった。報告があった。あの娘はニューオリンズにいる。部下の一人が今日の午前中、ジャクスン・スクエアで発見した。3ブロック程追跡したところで、見失った。」
「どうして見失った?」
「・・・娘は少年のような格好をしていたらしい。なぜかこちらの正体を見破り、いきなり逃げ出したらしい。」
 がっちり男はリナに肘を打ち込まれ、蹴られたことは報告していなかった。
「正体を見破られた?なぜだ?」
「知らん。」
「俺の英語はどうだ?」
「完璧だ。そちらのドアの下に名刺がある。それを見てくれ。」
 カーメルは受話器を本体の横に置くと、ドアまでいって名刺を拾った。
 名刺にはギャビン=ヴァーヒークとあった。
「こいつは?」
「ギャビン=ヴァーヒーク。オランダ系アメリカ人。ワシントンでFBI長官の特別法律顧問だ。どうやら、キャラハンとロースクール時代以前からの友人だったらしい。キャラハンの追悼式で友人代表をやっていた。昨夜は大学近くのバーに顔を出して、娘のことを探っていたらしい。FBIを装った部下が同じバーテンに質問した。そのうち、そのバーテンが名刺を出してきたんだ。裏を見てくれ。ヒルトンの1909号室にいると書いてある。」
「歩いて5分の距離だな。」
 カーメルは先ほどまで見ていた街路地図をちらりと見た。
「ああ。こいつはただの弁護士だ。キャラハンと知り合いだし、娘とも知り合いかもしれん。娘をこいつが探しているのは明白だ。」
「娘がこいつに打ち明けるかもしれんな。」
「ああ。」

 カーメルは1時間後、ホテルを後にした。
 上着を着てネクタイを締めた姿は、一般的な仕事帰りの男性にしか見えない。
 スーパードームから帰ってきたアメフト・ファンの間を縫ってヒルトン・ホテルに入り、20階へエレベーターで昇る。そこから、階段を使って19階まで降りる。
 1909号室のドアをノックしたが、返事はなかった。
 チェーンがかかってドアが開いたら、部屋を間違えたと謝罪するつもりだった。チェーンなしでドアが開いたら、殴りつけて侵入しようと思っていた。
 カーメルはドアを再度ノックし、返事を待つフリをしながらプラスチック定規を取り出した。錠前を外し、室内に忍び込む。
 室内で手袋をはめ、ドアをロックする。
 電話線に細工してレコーダーをセットし、動作確認をする。
 室内を見回すと、ヴァーヒークはだらしない質らしく汚れた服の大半はスーツケースの近くに投げ出してあった。荷物もまともに解かれておらず、クロゼットにはシャツがたった一枚だけ吊るしてあった。
 カーメルは自分のいた痕跡を消し去ると、クロゼットに入ってしゃがみこんだ。彼は必要とあらば、何時間でも待っていられる。
 道化男がやってきてクロゼットを開けても大丈夫なように22口径の銃はしっかりと構えて、カーメルは待つ。

 ヴァーヒークはバー巡りを断念し、ホテルへ戻った。
 今日も何の収穫もなかった。リナは電話はしてきたものの、酒場には顔を出さない。
 月曜日にはワシントンに戻らなければならない。夕方の便は予約済みである。
 ヴァーヒークはガーヴ長官への言い訳を考えた。
 リナを見つけられませんでした。しかし、悪いのはタクシーの運転手で、彼がリナを見失ったのです。
 ヴァーヒークは溜息をついた。自分としてはやれるだけのことはやったつもりだった。
 ヴァーヒークはベッドに腰掛けて雑誌を捲っていた。12時まで待ってリナから電話がなければ眠るつもりだった。
リリリリリ・・・
「もしもし!」
 ヴァーヒークは受話器に飛びついた。
〈あたし、リナよ。こんばんは。〉
「まだ、生きてるようじゃないか・・・。」
 安堵の溜息が出てくる。
 電話の向こうでリナが笑った気配がする。
〈かろうじてよ。〉
「何かあったのか?」
〈連中の一人に見つかって、殺されかけたわ。礼拝堂にいて痩せた男と一緒に見張ってたがっちり男なんだけど。〉
「逃げることができたんだな。」
〈ふふん、撃退してやったわ。〉
『嵐みたいだ。・・・その辺の男なら片手でのしちまうくらいには強いしな。』
 ふいにキャラハンの言葉が蘇ってきて、ヴァーヒークは小さく笑い、すぐに表情を引き締めた。
「リナ、今回はよくても、次回もうまくいくとは限らない。」
〈分かってる。向こうはプロだし。銃で狙われたらどうしようもないもの。〉
 強気な声だったが、語尾が少し震えていた。
 今更言うまでもなく、誰よりも危険を感じているのはリナだったな。
 ヴァーヒークは反省した。
「尾行されてたのか?」
〈いいえ、偶然ばったり会ったの。〉
 ヴァーヒークは考え込んだ。
「リナ、僕は明日夕方の便でワシントンに戻らなければならない。上司がオフィスに出頭しろと言ってきているんだ。君が僕を信用してくれるまで待つのは無理だ。だから・・・、一緒にワシントンへ行こう。」
〈そうしたら、どうなるの?〉
「君は生き延びることができる。長官に頼んで身柄を保護してもらおう。とにかく、手を打つから。」
〈飛行機であっさりニューオリンズを抜け出せると思うの?根拠は?〉
「捜査官を3人配備する。落ち合う場所を言ってくれれば、捜査官と15分でそこに行く。捜査官は銃を持っているし、がっちり男だって恐れない。ワシントンに君を連れ出し、長官にも直接会ってもらう。約束する。」
〈FBIはこの件から手を引いたんじゃなかったかしら?〉
「手は引いたが、再開するかもしれない。」
〈護衛の捜査官はどうするの?〉
「友人がいるんだ。」
 リナはしばらく黙り込んだ。
〈あなたが泊まっているホテルの裏に『リバー・ウォーク』という場所があるわ。〉
「今日の午後、そこに行ったよ。」
 リナは何を言おうとしているのだろうか。
〈なら、よかった。そこの二階に『フレンチメンズ・ベンド』というブティックがあるわ。〉
「ああ、見かけた。」
〈明日の正午ちょうどにその入り口で5分間待ってて?〉
「何言ってる!!明日の正午まで命があると思うのか?」
〈あたしの言うとおりにして!これまで会ったことないんだもの。型はどーでもいいから、黒いシャツに赤い野球帽で来てちょうだい。〉
「そんなものどこで・・・。」
〈いいからっ、買ってちょうだい。〉
「分かった分かった。」
〈真剣に聞いてよ。でないと、二度と電話しないわよ。〉
「それで殺されるのは君だぞ。」
〈聞いてよ。〉
「ああ。それで、その店の前は人通りが多いのかな?」
〈多いわ。5分後に、店の中に入って右奥のサファリ・ジャケットのコーナーを見ててちょだい。あたしから声を掛けるわ。〉
「君はどんな服装で?」
〈あたしのことは心配しないで。〉
「分かったよ。それで?」
〈2人で街を出るの。誰にも知られたくない。〉
「・・・・・・・警護なしか。分かった、よ。」
 しぶしぶヴァーヒークは頷いた。
〈ありがと。〉
「君の計画は気に入らないけどね。安全とは言えないぞ。君も、僕も。」
〈とにかく、来てくれるのよね?〉
「ああ。」
〈あなた、身長は?〉
「175センチ。」
〈体重は?〉
「そうくると思った。80キロだ。でも、減量する気はあるんだ。」
〈ん。じゃあ、明日会いましょう。〉
「ああ、会えることを祈ってる。」
 受話器を置くと、ヴァーヒークは大きく息を吐いた。
「くそっ、ワガママ女め!!」
 毒づく声には不安が色濃い。
 ヴァーヒークはバスルームに入り、シャワーを浴びた。
 バスルームで備え付けのバス・ローブを纏い、鏡に映った自分を眺める。
 華奢でお人形のよう、けれど嵐のような魅力的な女が自分に信頼を寄せてきているというのに、この身体!!175センチの中に80キロもの肉が詰め込まれている。
 バスルームを出た。
 なぜか、室内は暗い。
 明かりはつけっぱなしだったはずだ。
 ヴァーヒークはドレッサーの横の証明のスイッチに向かった。
ひゅごっ
 最初の一撃で喉頭が砕けた。
 真横の壁の方向から飛んできた完璧な一打だった。
「ぐぅっ・・・。」
 呻きながら、ヴァーヒークはがっくりと肩膝をついた。
ごっ
 襟足に岩のような一撃が襲い掛かる。
どさりっ
 ヴァーヒークは絶命した。
かちっ
 室内が皓々とした明かりで照らされる。
 カーメルは足元の死体を何の感慨もなく担ぎ上げた。
 自分の仕事に見とれるような趣味は持っていない。
 死体をベッドに横たえる。
 テレビをつけ、音量を最大にした。
 25口径のオートマティックを取り出すと、ギャビン=ヴァーヒークの米神にあて、枕で銃と頭部を覆ってから引き金を引いた。
 死体の右手を慎重に折り曲げて拳銃に絡ませ、頭部から30センチ離れたところにその手を置く。
 電話線を元に戻し、隠しておいたレコーダーを取り出し、耳を傾けると、娘の声が聞こえてきた。
 死体にちらりと目をやる。
 なんと間抜けな男だろうか。
 ちょろちょろ動き回って、あちこちで口を滑らせ、ご丁寧に名刺まで配って回った。
 巧くいけば警察はこの場所を見ただけで自殺と判断するかもしれない。
 この男はFBIの重要人物だというから、2,3日のうちに検屍が行われるだろう。とすると、自殺でないことはすぐに分かる。しかし、それも火曜日以降だろう。
 その火曜日には、あの娘は死んでいるだろうし、カーメルはアメリカ国外にいる。


 次々に人が死んでいってしまいますね。(2005 5/5)