17
 ガウリイは編集総局長ジャクスン=フェルドマンと編集副主幹ミルガズィア=ゴールデンドラゴンの消えたドアの前でじっと待っていた。
 20年近く編集総局長秘書をやっているヘレンがガウリイを睨んでいたのだが、彼が申し訳なさそうに微笑むと、頬を染めて許してくれた。
 待つこと、30分。
 ドアが開き、ガウリイは中に招かれた。
 素早く入って、ドアを閉め、ガウリイは上司2人の様子を伺った。
 フェルドマンは、リナが手書きで書いた文書コピーとガウリイが書いた記事のアウトラインを手に、口を開いた。
「まったく・・・。」
 その口調に、ガウリイはにやりと笑った。
「なるほど、感動のあまり、声も出ないってやつですね。」
 フェルドマンが笑った。
「このミス=インバースはどこにいるんだ?」
「それは言えません。条件の一つなんです。オレとだけ話をするという・・・。」
「ふむ。彼女とはいつ話を?」
「昨夜。それから、今朝も少し。」
「ニューヨークで?」
「どこだろうと、関係ないでしょう?とにかく、本人と会って話をした。そして、帰ってきてアウトラインを書いたんです。ご感想は?」
 ガウリイは焦れたように促した。
 フェルドマンはゆったりとソファに座った。
「ホワイトハウスでは、どの程度のことを掴んでいるんだ?」
 ガウリイは頭を振った。縛っていない髪がそれに合わせてさらさらと揺れた。
「分かりません。ヴァーヒークがリナに話したところでは、ペリカン文書は先週ホワイトハウスに到着。その時点では、FBIもこれを捜査対象としていませんでしたが、その後、何らかの理由で捜査を中止したそうです。」
「3年前のマティースの大統領への献金額は?」
「数百万ドルです。事実上、その全てがマティースの支配下にある無数の政治活動委員会を通じて行われています。マティースはあらゆる種類の弁護士に依頼して、その弁護士たちがあちこちに金をばらまいているんです。おそらく、どれをとっても合法的な金でしょうね。」
 2人の上司は、ゆっくりと頷いた。あまりに大きな話なので、頭を対応させるのに時間がかかっているのである。ガウリイは少し得意な気分になっていた。
ふーっ
 ミルガズィアが息を吐き出した。
「こいつは爆弾だぞ、ガウリイ。補強証拠をどっさり揃えないことには、到底掲載できない。・・・まったく、世界一困難な裏づけ調査じゃないかね?恐ろしい特ダネだ。」
 フェルドマンがそれに頷き、ガウリイをひたと見詰めた。
「で、どうするつもりだ?」
 ガウリイは上司の視線を受けて、背筋を伸ばした。
「はい。いくつかの腹案があります。」
「・・・聞かせてもらおう。この件では、君が殺される可能性もあるからな。」
 ガウリイは少しだけ微笑んだ。
 特ダネを逃すまいとしているのと同時に、上司は確かに自分を心配してくれているのだ。ただ、申し訳ないのだが、ガウリイは自身の生命については昔からかなり無頓着である自覚があった。
「まず、ガルシアを探そうと思っています。」
 ミルガズィアは頷いた。
「ふむ。まあ、妥当なところだろう。例の娘は協力してくれるのか?」
「リナは・・・。」
 ガウリイは口籠った。
 彼女からの連絡はまだない。
 ずっと待っているのだが。
「彼女は、現在とても怯えています。」
 さもありなん、とフェルドマンは頷いた。
「だろうな。私なんぞ、その文書を読んだだけで背筋が凍ったぞ。」
 ミルガズィアが探るような眼差しをガウリイに向けた。
「お前は、彼女に手伝ってほしいようだな?」
 考え深い眼差しを向けられて、ガウリイは咄嗟に返答できなかった。
「調査中に、リナ=インバースが殺されたら、我々の立場がどうなるか考えるのだ。協力させるのは危険すぎるぞ。彼女はどこにいる?そして、どんな計画を立てているのだ?」
 ガウリイはゆっくりと頭を振った。
「彼女は・・・本当に怯えているんです。彼女の居場所は、貴方であっても話すことはできません。」
 ミルガズィアはガウリイの表情に何か言いかけたが、口を閉ざした。
 フェルドマンが口を開く。
「君の言うように、まず、ガルシアから手をつけるべきだろうな。ガルシアが見つからないことには、いくらマティースのことを探っても記事にはならん。」
「ああ、お前が書いたものはわたしが全て目を通そう。毎日報告をしてくれ。」
「これで、うちの新聞の低落傾向にも歯止めがかかるだろう。だが、くれぐれも用心するんだ。」
 ガウリイは頷き、部屋を出て行った。
 
 暗くなったストリートで車を走らせていたガウリイは、背後に青い光があることに気づいた。
 パトカーだ。
 特ダネを仕入れて浮かれていたのかもしれない。制限速度もスピードメーターの数字もまったく気にしていなかった。
ふぅ
 ガウリイは溜息を吐くと、手近にあった小さな駐車場に車を乗り入れた。
「車をおりろ。」
 警官がバンパーの方から命令してきた。
 声に珍しく敵意がないことに驚きながら、ガウリイは車を降りた。
 警官は、サージの息子だった。
 彼はパトカーを指差した。
「乗れよ。」
 2人はパトカーに乗り込んだ。
 目の前にヴォルヴォを見ながら、ガウリイが首を傾げた。
「なんでこんな真似をしたんだ?」
「オレたちにもノルマがあるからな。白人警官が無実の貧乏黒人を捕まえるもんだから、オレたち黒人警官としては、せっせと無実で金持ちな白人を捕まえなきゃいけないのさ。」
「つまり、オレに手錠をかけて、袋にする気だな。」
「頼まれれば嫌と言えないタチなんだ。・・・サージがこれ以上話せないと言っている。」
 ガウリイは目を見開いた。
「詳しい話を教えてくれ。」
 眼差しを鋭くしたガウリイに、警官も真面目な顔になる。
「何か妙な臭いが立ちこめてるんだそうだ。何度か怪しげな目つきで見られたらしいし、変な話も耳にしたと言っている。」
「例えば?」
「ガウリイ、お前のことが話題にされてたらしい。お前がどの程度知っているのか知る必要があるとかいう話だそうだ。サージによると、お前、向こうさんに盗聴されているようだぞ。」
 ガウリイは大きく顔を顰めた。
「マジかよ。サージは本気で?」
「ああ。あの連中がお前さんのことを話し合い、ペリカンなんたらのことを嗅ぎまわっていることを話題にしているらしい。どうやら、お前、連中を震え上がらせているようだな。」
「それで、もう会えないと?」
「当分はな。サージは嵐が過ぎるのを待つらしい。その間、オレが連絡役を勤めるよ。」
 ガウリイは頷いた。
「分かった。サージには気をつけるように伝言してくれ。これは相当な問題なんだ。」
「ペリカンなんたらってーのは、いったい・・・?」
「そいつは言えない。けど、サージにはそれが原因で殺される可能性があるってことを伝えてくれ。」
「サージに限って、んなことがあるかよ。親父はあの家の住人の誰より頭が回るんだ。」
 警官はにやりと笑った。
 ガウリイはパトカーから降りて微笑んだ。
「ありがとう。」
 警官は青い警告灯を消した。
「オレは巡回してくる。半年は夜勤だから、お前の周辺も見張ってやるよ。」
「恩に着る。」
 警官は片手を挙げて走り去っていった。


 ゼルはバナナマフィンとホットドックの代金を払うと、遊歩道を見下ろすストールに腰掛けた。時刻は真夜中、かっきり0時。ジョージタウンは次第に活動を停止していった。
 コーヒーショップはそこそこ繁盛しているようで、ゼルはホットドックに食いつき、甘ったるい匂いを漂わせるバナナマフィンを嫌そうに脇へ押しやった。生のバナナでも嫌なのに、加工品となると耐えられない。それがやはり分かっているからこそ、目印にした上司をいつかタコ殴りにしてやりたい。
 コーヒーをすすりながら遊歩道を見ていると、見覚えのある顔があった。
 男は隣のストールに滑り込んできた。
「それで?」
 ゼルが問いかけると、男は思わし気に頭を振った。
「あの娘は見つからない。心配が深まるばかりだ。今日も悪い知らせが飛び込んできた。」
「というと?」
「未確認情報だが、悪人どもは浮き足立ってきている。親玉は、誰彼構わず殺せといい始めてる。費用に糸目はつけないつもりらしい。で、銃を持った男どもを送り出したそうだ。」
 殺人計画の話が出ても、ゼルは顔色ひとつ変えなかった。
「標的リストに載っているのは?」
「あの娘だ。それから勿論、外部の人間でたまたまあの文書を知ってしまった者全部だろうな。」
 ゼルは少しだけ眉を顰めた。
 目下のところ、ゼルが多少なりとも気にかけているのはリナ=インバースの安否だけだ。カーメルの魔手からは守れたのだが、今は彼女自身で身を守らねばならない。頭の回る娘だ。何とか生き延びて欲しい。
「で、計画は?」
「あちこち探してる。明日の夜、また落ち合おう。もし、こっちが娘を見つけたら、あとはお前の見せ場だ。」
「どうやって探す?」
「娘はニューヨークにいるとは思うのだが・・・。」
「あんたなら、どこへ行く?」
 問われて、男は考え込んだ。だが、思い浮かぶのはローマやモンテカルロのような場所ばかりで、誰もが行きたがるような土地だった。風光明媚で、しかも一旦行った後は死ぬまで隠遁生活が遅れそうな場所となると、まったく思いつかない。
「分からん。あんたなら?」
「ニューヨークだな。あそこなら何年住んでいようが、まったく見つからんだろう。言葉は分かる、しきたりも分かる、アメリカ人が隠れるにはもってこいの場所だ。」
「じゃあ、あの娘はマンハッタンにいると?」
「さぁな。頭の回る女だからな。」
 男は頷き、立ち上がった。
「じゃあ、明日の晩に。」
 ゼルは軽く片手を挙げて男を見送った。
 口元に嘲笑が浮かんでくる。
 間抜けな野郎だ。コーヒーショップや安宿をうろつき、重大な伝言を持ってくる。それがすめば上司に微に入り細をうがって報告するのだろう。下手な現場にいけば、速攻であの世行きだ。
 ゼルはコーヒーカップをゴミ箱に投げ捨てると、店を後にした。


 本社ビルに泊り込みの連中を除いて、一番早く出社したガウリイは自分のデスクの電話の留守番電話のランプが光っていることに気づいた。
 リナ、だろうか。
 ガウリイは急いで受話器を耳に当て、メッセージを再生させた。
 受話器から可愛い声が流れ出す。
〈おはよ、ガウリイ。まだ辺りも暗いから出社してないのね。・・・ごめんなさい。やっぱり、あたし逃げるわ。貴方がやつらの化けの皮を剥がしてくれることを祈ってる。でも、無茶はしないでね。じゃあ、さようなら。〉
ぴーっ
 〈メッセージを繰り返す場合は――〉
がちゃっ
 ショックだった。
 ガウリイは呆然としながら受話器を置き、椅子に崩れるように座り込んだ。
 彼女と自分を繋ぐ糸が切れてしまったことが、ショックだった。
 予想外というわけではない。
 彼女は怯えていたし、実際、国内に留まっている方が見つかりやすいのは確かだ。
 それでも、どこかで彼女が紅い瞳に闘志を宿して手伝ってくれるのではないかと思っていたのだ。
 『さようなら』と言われるのがこれほど堪えるとは思っていなかった。
 リナにはもう二度と会えないのだろうか。
 コルクボードに貼り付けたリナの写真に目をやる。
 写真の中で微笑むリナ。
 照れた顔で申し訳なさそうにソファで寝て欲しいと頼んできたリナ。
 この手で、彼女を守りたかったのに。
 思った以上の喪失感に戸惑っていたガウリイは、ミルガズィアが呼んでいるとの声に我に返った。
 急いでいつの間にか人の増えたデスクの間を通り抜け、ミルガズィアのオフィスへ行く。
 ミルガズィアはガウリイを見ると、身振りで自ら常時開放を唱えているドアを閉めるように促した。
「どうしたのだ?随分、顔色が悪いぞ。」
 不思議そうに尋ねられて、ガウリイはそんなに顔に出ていたのかと恥じた。
「ああ、いえ・・・。リナが・・・、リナ=インバースは高飛びするようなんです。」
 ガウリイの言葉にミルガズィアは目を見開いた。
「ふむ・・・。そうか、ニュースソースが消えるのは痛いな。」
 言いながら、ガウリイに何かのコピーを渡してきた。
 ガウリイはそれに目を落とした。
 新聞記事のコピーだった。
 見出しには『この地を愛する弁護士死す!』とあった。湿原の回復を望む優秀で熱心な弁護士の死が報じられた記事だった。警察は自殺と断定したと書かれていた。
「これは、例の・・・。」
 ガウリイが唸ると、ミルガズィアが頷いた。
「そうだ。ペリカン文書に書かれていた訴訟を廻る過程で数年前にすでに人死が出ていたのだ。」
 ミルガズィアの淡々とした語り口にガウリイは顔を上げた。
 ミルガズィアは眉を顰めながら、ガウリイを見詰めた。
「このネタは危険すぎる。娘も国外へ出るというのなら、彼女に義理立てする必要もないだろう。ニュースソースは消え、証拠も抑えられそうにないとなると・・・。」
 ガウリイは目を見開いた。
「待ってください!!ガルシアは顔まで分かっています。まだ希望は残ってるんです!!!」
 ガウリイは必死に言い募った。
 国外に逃亡したとしてもリナの危険が消えたわけではない。彼女が安全になるのは、マティースの悪事を暴き、真実を太陽の下に晒したときだけなのだ。
 二度とリナに会えないとしても、この手で彼女を守れるかもしれない可能性を捨てたくはなかった。
 四半世紀ぶりの特ダネだとか、ピュリッツアー賞だとかはどうでもよかった。ただ、リナが笑顔で暮らしていけるようにしてやりたかった。
「ガルシアが所属してるらしき法律事務所の目星もついています!!どうか、取材を続行させてください!!」
 滅多に何にも執着しない男の必死な様子に、ミルガズィアは目を見開いた。
「相手が大物すぎる・・・。巨悪と戦うといえば聞こえはいいが、自分の命を無駄にすることはないのだぞ。」
 筋の通った記事を書くために自らの危険は省みずに危ない橋を渡ることはいつもの話だが、いつだって意外に冷静なこの男は、死に近づくようなことには関わったりしなかった。そのバランス感覚までも天性のものらしいので、野生の勘で取材をする男だと笑うこともしばしばあった。
 今、ガウリイは必死な顔でミルガズィアに食い下がっていた。
「お願いします!!」
ふぅ
 ミルガズィアは息を吐き出した。
「説得力のある事実、証拠を見つけたら許可をやろう。とりあえず、お前は狙われてもいるようだから、いつものようにアーカンソーの小屋にでも行っておけ。」
 アーカンソーの小屋とは、ガウリイが危ないネタを追うときに自宅アパートでは身を守りにくいために利用する場所である。本当にこじんまりとした小屋だが、セキュリティがアパートよりはマシなのだ。
 しぶしぶながら許可をもらったガウリイは顔を輝かせた。
「ありがとうございます!!」
 勢いよく出て行った男の背を目で追いながら、ミルガズィアは少し微笑んだ。
「あの男を熱くさせるとは・・・、よほどの娘だったようだな。」
 だが、その娘は国外に逃げてしまうらしい。
 報われないことだ、と、ミルガズィアは微かに憐みを浮かべた。


 報われないわね・・・。ガウリイ君。ああ、何だかホワイトなガウリイだ。
 せっかく出会えたのにリナがいないので遅々として筆が進まなかった回でした。
(2005 5/29)