18
 小雨が降っていた。
 ただでさえ暗い夜の林がさらに暗くなる。
 テレビには広大な湿地帯の映像が流れていた。
 オレンジ色の夕陽が大きく豊かに広がる湿地帯を染め上げ、渡り鳥の群れが羽ばたいていく―――。
 ガウリイはソファに深く身を沈めて、映像を眺めていた。
 静かな静かな夜、ナレーターの声だけが響いている。
 ふと、ガウリイは身を起こした。
 蒼い瞳に鋭い色が浮かぶと同時に侵入者を知らせるランプが赤くちかちかと光った。ガウリイのよく発達した勘は機械と同等以上の性能を発揮したのである。
 ガウリイはスミス&ウェッソンを持つと、ゆっくりと起き上がった。
 窓からのぞくと、懐中電灯らしきものの明かりがひとつ揺れながら近づいてきていた。
 思わず、息をつく。
 マティースの放った殺し屋が来たのなら、懐中電灯をつけて近づくような真似はするまい。近づいてきているのは、プロの殺し屋ではないだろう。だからといって、油断ができるわけではない。
 ガウリイは再び表情を引き締めた。
 スミス&ウェッソンを油断なく構えたまま、ドアの横の壁に張り付いて息を殺す。
 ドアの前に気配がひとつ。

かんっかんっ

 ノッカーがやけに軽い音を響かせた。
 ガウリイはゆっくりと口を開いた。
「誰だ?」
「リナよ。」
 少し高めの可愛い声が聞こえた瞬間、ガウリイは銃をおろし、ドアをひらいた。
「こんばんは。」
 黒っぽいレインコートを羽織った女性がそこにいた。
 前髪から少し雫を垂らしながら、白い手がフードをとると、見上げてくる紅い瞳があらわになる。
 ガウリイは歓喜に沸きあがる気持ちを抑え、にっこりと笑みを浮かべた。
「こんばんわ、リナ。」
 ガウリイは身体をずらし、リナを中へと招く。
 リナはレインコートを脱いで、壁にそれをかけた。
 ガウリイは彼女の姿を瞬きもせずに見つめていた。
 小雨のせいで、しっとりとなっている栗色の髪や、細い肩、細い腰、振り返って見上げてくる紅い輝く瞳。
「どうして・・・ここが?」
 掠れる声が驚きのせいだと思ってくれればいいのだが。
 ガウリイが問いかけると、リナは瞳を煌かせ、笑った。
「編集長さんに電話で聞いたの。妹のメアリですけど、兄が見つからなくて困ってます、って。」
「妹のこと知って・・・?」
「調べる方法はあるわ。」
 なんでもないことのようにリナは肩を竦めた。
「あの、留守電のメッセージは・・・?」
 自分を絶望に陥れた留守電のことを聞くと、リナはやはり笑った。
「ああ、あれね。盗聴されてたら、敵の目を欺けるんじゃないか、と思ったのよ。」
「そっか・・・。」
 ガウリイは強く輝く紅い瞳から目を離すことができなかった。彼女の話に感心している頭のどこかで、彼女の瞳に映る自分の姿をいつまでも見ていたい、などと考えている。
ぽたり
 リナの前髪から雫が毀れたのを見て、ガウリイははっとした。
「ああ、すまん。その辺に座っててくれ。タオルを取ってくるよ。」
「ありがと。」
 頷いたリナがソファに座るのを確認して、ガウリイは銃を抽斗に仕舞い、タオルをとりだして彼女に渡した。さらに、コーヒーメーカーにできていたコーヒーをいれて彼女に渡す。
「ありがと。」
 リナは両手で包み込むようにマグカップを持った。この小雨の中を駅から歩いてきたから、身体は冷えているはずである。
 ガウリイもソファに座り、黙って彼女がコーヒーを飲むのを眺めた。
 リナはコーヒーを半分ほど飲んでから、テレビのほうに顔を向けた。
「これ、例の・・・?」
「ああ。〈緑の基金〉がつくったビデオだ。」
「綺麗ね。」
 リナは画面を見詰めていた。
「ああ。」
 ガウリイはリナから目を離せなかった。
「なあ、リナ。お前さん・・・高飛びはやめたのか?」
 リナの唇が笑みを浮かべた。
「ここにいることが答えにならない?」
「ああ、そうだな。そうだが・・・。」
 リナはマグカップをテーブルに置いてから、ガウリイを真っ直ぐに見た。
「貴方の言うとおりだと思ったのよ。あのまま高飛びしても、暗殺者の影に怯えなきゃいけないし。事件が解決するかどうかの保障もない。自分で見つけてしまった真実をそのまま放っぽりだすなんて無責任すぎるわよね。ンなことが姉ちゃんにしれたら―――。」
 リナは何を思い出したのか青ざめ、自分の肩を抱きしめて首を振った。
「やり始めたからには最後までやるわ。自分の安全を自分で勝ち取ってみせるわよ。」
 リナの瞳に闘志が宿り、きらきらと輝いた。
 それに見蕩れながら、ガウリイは笑みを浮かべて頷いた。
「オレたちで解決しよう。」
「ええ。」
 2人は頷きあい、固い握手を交わした。
 共に巨悪に立ち向かう仲間として認め合ったのである。
 ガウリイは名残惜しく思いながら、白い小さな手を放した。
「ガルシアを探すのが一番いいと思うんだ。」
「そうね。証人になってくれるかもしれないし。情報がもらえるだけでも、状況はよくなると思うわ。」
 ガウリイの言葉にリナも賛成の意を示した。
「『ホワイト&ブレイズヴィッチ法律事務所』に一人ずつ会うわけにはいかんが・・・。」
「ガルシアなんて名前が咄嗟にでてくるんだから。ヒスパニック系なのかもしれないわね。」
「オレもそれは考えた。だが、あそこにはヒスパニックはいないんだ。」
「そっか・・・。貴方は何か考えがあるの?」
「信用できるヤツを使って、事務所を見張らせ、ガルシアを見つけさせる、とか・・・ぐらいか。実は既に実行してる。昨日からある男が張り込んでくれてるんだ。」
「おそろしく遠回りな方法に聞こえるわね。」
「顔が分かっているだけだからな。」
「ふぅん・・・。」
 リナは黙り込んだ。栗色の小さな頭の中をいろいろな考えが忙しく巡っているのだろう。
「別のことを思いついたわ。だから、明日は別行動にしましょ。」
「・・・ああ。お前さんのことだから、いい考えなんだろーなぁ。」
 リナが苦笑を浮かべた。
「辣腕記者さんが何を言うのよ。とにかく、明日は別行動。それから・・・明日はここには泊らないほうがいいわね。」
「ああ、そうだな。お前さんが簡単に見つけたんだ。連中にはもっと簡単に見つかっちまうだろうからな。じゃあ、やっぱり街中のホテルを点々とするか。」
「それがいいでしょうね。」
 リナが頷いたのをみて、ガウリイは立ち上がった。
「ベッドルームはお前さんが使うといい。オレは今日はここで寝るから・・・。」
 リナは眉を顰めた。
「押しかけたのはあたしよ。あたしがここで寝るわ。」
「女子どもには優しくってのがばあちゃんの遺言なんだよ。」
 ガウリイの言葉にリナは肩を軽く竦めた。
「ご立派なポリシーね。じゃあ、遠慮なく使わせてもらうわ。」
「ああ、そうしてくれ。ベッドルームはそっちのドアだよ。」
 言われるがまま、リナはベッドルームへと向かう。その手がドアノブに掛かったところで、ガウリイが口を開いた。
「なあ、リナ・・・。」
 リナは振り返って、少し戸惑った。
 新聞記者の綺麗な顔がやけに真面目な表情で彼女を見ていたのだ。
 黙って先を促すリナに、ガウリイは躊躇いがちに問いかけた。
「なんで、お前さん、オレを話す相手に選んだんだ・・・?」
 リナは微笑んだ。
「あの人が・・・トーマスが貴方を贔屓にしてたのよ。骨のある男だって、ね。」
「そうか・・・。」
 リナに未だ色濃く残っているだろう男の面影を思い、ガウリイは目を伏せた。
 自分は何が聞きたかったのだろうか。
「おやすみ、ガウリイ。」
「ああ、おやすみ、リナ。」
 ガウリイは目を上げて微笑んだ。
 そのどこまでも包み込むような優しい笑みにリナは、少し目を見開いたが笑みを浮かべて、ベッドルームのドアを開いた。
 真っ暗な部屋の中、リナはドアに寄りかかり、胸を押さえた。
 ガウリイの優しい笑みを見たときに、確かに心の何かが動いた。
 眉を顰め、その感覚がなんなのか考えようとするのだが、その感覚は一瞬だったのでもう何だったのか分からない。
 リナは考えるのを止めた。
 ただでさえ、問題は山積みなのだから、よく分からない感覚などに時間を割くわけにはいかない。



 ホワイトハウスの執務室で、大統領が眉を顰めて、自分の右腕を見詰めていた。
「裁判官の指名は週明けに行うんだぞ。どうも、選考が遅れているようだが・・・。」
 フィブリゾは頷いた。
「例の文書のせいです。」
「あれかっ!」
 大統領は吐き捨てるように言ってから、不安そうにフィブリゾを見た。
「どうなっているのだ?」
「ガブリエフが嗅ぎまわっているようですが・・・。」
「そんなものは告訴してやるだけだぞ。」
「無実ならそれもいいのですが。」
 ふんわりとウェーブのかかった髪を掻き揚げ、小首を困ったように傾げる男に大統領は眉を顰めた。
「無実、なのだろう・・・?」
「それはこの際関係ありません。」
 大統領の質問に対する明確な回答をフィブリゾは避けた。
 考え事をしているときの癖で、フィブリゾは部屋のなかを行ったり来たりしだした。いつもなら、その行動に苛立つ大統領も今はそれを止める気にはなれなかった。
「マティースが大口献金者なのは確かです。そして、ガーヴが捜査妨害のことを暴露した場合、無実であろうと無かろうと、新聞はこぞって書き立てるでしょう。」
「何とかならんのか?」
「手はあります。・・・次の裁判官は面倒ですが自然保護派を指名し、ガーヴに捜査を依頼して、『ペリカン文書』の存在を新聞にリークするのです。」
 フィブリゾの提案に大統領は目を丸くした。
 大統領主席補佐官の意見はあまりに事が大きくなりすぎるような気がしたのである。
「表沙汰にならんような方法はないのか?」
 大統領の質問に、フィブリゾの可愛いといっていい顔が奇妙に静かな表情になった。
「1つ。」
 静かな声に大統領は戸惑った。
「どんな方法だ?」
「知らない方がいいでしょう。」
 それきり、頼りになる男は口を閉ざしてしまった。


 予告ぎりぎりセーフ?
 あんまり劇的な回ではないですけど、事態は進行していっております。
 そして、がんばれガウリイ!!リナは目の前にいるぞ!!な回でした。
(2005 7/26)